渡辺ペコ『恋じゃねえから』を読む。
14歳のときに大学生だった塾講師と恋愛関係になっていて体の関係も持っていた紫。そのときに「キレイだね。誰にも見せないから」と一眼レフカメラでセミヌードを撮影されていた。後にこの講師が著名な美術家となり、セミヌードをモデルにした立体作品が世に出てしまい注目を浴びることに。それを知った紫の当時の友人である茜は紫に連絡を取り、当時彼女が抱いていた感情やその後の人生を知ることに。
世間的には16歳未満の人間の性的なことに関する正常な判断力はないとされている。いや、そんなことないじゃん…と当時を思い返すと驚いてしまいそうなんだけど個人差がかなりあるため、判断力が乏しい人間がメインであるとされているようだ。社会的には。
20年ほど前は、10歳とか20歳年上の人と恋愛して関係を持っている少女なんてごまんといた。それこそ、教師と生徒の恋愛なんて腐るほどあったし、後に結婚して今も幸せに暮らしている人もいる。その線引はあやふやだとうことなんだろうけど。
さて、物語では紫の当時の判断が1巻ではグレーで、少しずつ明らかになっていくという巧妙な構成になっている。渡辺ペコは『1122』『にこたま』など他の作品でも絶妙な人間の心理を描くことに長けていたため、今作でも繊細に、丁寧に、少しずつまるで薄皮を剥ぐように慎重に描いている(ように私には見える)。
現在発売されている3巻までの話だと、おそらく紫は先生のことが好きであったものの体の関係を持つことに関しては否定的で、でも相手に嫌われたくないという思いから内心いやいやながら応じていたという感じかな。
ああーそういう女子多そう……と思ってしまったと同時に、親たちにはぜひ恋愛や愛情とセックスは全くの別物であり、好きな人としたいという感情は基本的には「脳がそう思わせている」だけのバグだということを子どもたちに教えてあげてくれ、と言いたい。
基本的に性教育では「好きな人としたくなるのは自然なこと」「愛の結晶で子どもが生まれる」なんて教えてるけど残念ながらこれは子孫を残すための都合のよいウソ。好きじゃなくてもできるから風俗がこんなに一大市場になっててパパ活が流行してるというのに。一昔前はパパ活は援助交際という名前で爆発的に流行していた。だから人間は好きじゃなくてもしたくなる、が正解だし、だから金に替えようとする人がたくさんいる、も正解。好きだからしたい、という人もたくさんいるけど、これも基本的には脳のエラーで「好き」と「したい」は分けるべき。性欲が強い人たちにとっての都合のいい言い訳でしかない。
性的行為は脳の大好物で、したらとても気持ちいいから皆したくなってしまう。逆にいえば、気持ちよくない行為は誰もしたくない。だから、そこに愛があるといわれても気持ちよくない場合はしたくないわけ。でも愛があると言われると渋々しなきゃいけない気がして応じるけど、段々相手のことが嫌になるという負のスパイラル。
こんなに日本でセックスレスが多い理由は、気持ち良い行為をできる人がものすごく少ないからだろうと思う。相手の脳を酔わせるようにできるなら好き嫌い関係なくしたいと思ってくれるはずなので。脳の構造上。レスに悩んでいるしたくてしょうがない男女は一度、相手をものすごく気持ち良くさせるために勉強なりしたほうがいいと思います。間違っても下手くそな教材なりAVを引かないように。行為だけでなく相手を気分よくさせることも大事なのに、してくれないことで相手を責めたりヒスを起こしたりすると余計気持ちよさからは遠ざかるため、レスも長引くと。単純な話です。
話は逸れたけど、『恋じゃねえから』を読んで思うのは、愛とか恋で嫌がる相手を性的関係に持ち込むっていうのは罪深いなあということ。ジャニーズ問題でも散々問題視されていたけど。愛とか恋を口にしてやりたがる男女のどちらも完全に黒です、別にあなたのこと好きでも何でもないです。やりたいだけ。だって性行為は他に変えられないほどエンドルフィンが出まくるから。これはそこらおくすり系とか比にならないレベルの快楽をもたらすんだよね。だから、それを味わいたいだけ。貪欲に。
たぶん着地点は先生の妻に当時関係を持っていたことがバレてブチギレられて離婚&社会的に叩かれまくるという感じか。そして紫は複雑な表情を浮かべるし、茜は当時紫を助けられなかったけど復讐できてよかったと安堵する。うーん、これじゃ容易に想像できちゃうので多分違う結末になっているとは思うけど。
少し前にグルーミングを題材にした映画「ジェニーの記憶」が話題になっていた。これは中年女性となったジェニーが13歳のころの大人との恋愛を思い出すというストーリー。最初は、13歳の自分は大人と恋愛するほど大人びていたと思っていたジェニーだったが、当時の写真を見てみると想像の中よりもずっと子どもで自分がされたおぞましいグルーミングに気がついてしまう。
こういうことって本当によくあると思うし、相手の男が一切悪いと思っていないことも多いと思う。そう思うと、20年前大人たちと付き合っていた少女たちや、関係を持ったと話していた少女たちは本当に自分が心から願ってその関係を持ったのだろうか、と暗い気持ちになった。結婚した人もいる。幸せだろうと思う。でも当時彼女は15歳くらいだった。相手の20歳以上年上の“彼氏”は本気であったし、両親にもすぐにあいさつにいっていて、個人情報になるので伏せるけど真剣な交際のためにいろいろなことを実行していた。でも年齢差は20歳以上。彼女はものすごい美少女で感性豊かな人で、小説に登場するような人物で、そりゃ男は誰も惚れるよねというような人だった。そういえば、大人と交際していた少女たちは皆、振り返るほどの美少女が多かった。思い返せば。
14歳のときに大学生だった塾講師と恋愛関係になっていて体の関係も持っていた紫。そのときに「キレイだね。誰にも見せないから」と一眼レフカメラでセミヌードを撮影されていた。後にこの講師が著名な美術家となり、セミヌードをモデルにした立体作品が世に出てしまい注目を浴びることに。それを知った紫の当時の友人である茜は紫に連絡を取り、当時彼女が抱いていた感情やその後の人生を知ることに。
世間的には16歳未満の人間の性的なことに関する正常な判断力はないとされている。いや、そんなことないじゃん…と当時を思い返すと驚いてしまいそうなんだけど個人差がかなりあるため、判断力が乏しい人間がメインであるとされているようだ。社会的には。
20年ほど前は、10歳とか20歳年上の人と恋愛して関係を持っている少女なんてごまんといた。それこそ、教師と生徒の恋愛なんて腐るほどあったし、後に結婚して今も幸せに暮らしている人もいる。その線引はあやふやだとうことなんだろうけど。
さて、物語では紫の当時の判断が1巻ではグレーで、少しずつ明らかになっていくという巧妙な構成になっている。渡辺ペコは『1122』『にこたま』など他の作品でも絶妙な人間の心理を描くことに長けていたため、今作でも繊細に、丁寧に、少しずつまるで薄皮を剥ぐように慎重に描いている(ように私には見える)。
現在発売されている3巻までの話だと、おそらく紫は先生のことが好きであったものの体の関係を持つことに関しては否定的で、でも相手に嫌われたくないという思いから内心いやいやながら応じていたという感じかな。
ああーそういう女子多そう……と思ってしまったと同時に、親たちにはぜひ恋愛や愛情とセックスは全くの別物であり、好きな人としたいという感情は基本的には「脳がそう思わせている」だけのバグだということを子どもたちに教えてあげてくれ、と言いたい。
基本的に性教育では「好きな人としたくなるのは自然なこと」「愛の結晶で子どもが生まれる」なんて教えてるけど残念ながらこれは子孫を残すための都合のよいウソ。好きじゃなくてもできるから風俗がこんなに一大市場になっててパパ活が流行してるというのに。一昔前はパパ活は援助交際という名前で爆発的に流行していた。だから人間は好きじゃなくてもしたくなる、が正解だし、だから金に替えようとする人がたくさんいる、も正解。好きだからしたい、という人もたくさんいるけど、これも基本的には脳のエラーで「好き」と「したい」は分けるべき。性欲が強い人たちにとっての都合のいい言い訳でしかない。
性的行為は脳の大好物で、したらとても気持ちいいから皆したくなってしまう。逆にいえば、気持ちよくない行為は誰もしたくない。だから、そこに愛があるといわれても気持ちよくない場合はしたくないわけ。でも愛があると言われると渋々しなきゃいけない気がして応じるけど、段々相手のことが嫌になるという負のスパイラル。
こんなに日本でセックスレスが多い理由は、気持ち良い行為をできる人がものすごく少ないからだろうと思う。相手の脳を酔わせるようにできるなら好き嫌い関係なくしたいと思ってくれるはずなので。脳の構造上。レスに悩んでいるしたくてしょうがない男女は一度、相手をものすごく気持ち良くさせるために勉強なりしたほうがいいと思います。間違っても下手くそな教材なりAVを引かないように。行為だけでなく相手を気分よくさせることも大事なのに、してくれないことで相手を責めたりヒスを起こしたりすると余計気持ちよさからは遠ざかるため、レスも長引くと。単純な話です。
話は逸れたけど、『恋じゃねえから』を読んで思うのは、愛とか恋で嫌がる相手を性的関係に持ち込むっていうのは罪深いなあということ。ジャニーズ問題でも散々問題視されていたけど。愛とか恋を口にしてやりたがる男女のどちらも完全に黒です、別にあなたのこと好きでも何でもないです。やりたいだけ。だって性行為は他に変えられないほどエンドルフィンが出まくるから。これはそこらおくすり系とか比にならないレベルの快楽をもたらすんだよね。だから、それを味わいたいだけ。貪欲に。
たぶん着地点は先生の妻に当時関係を持っていたことがバレてブチギレられて離婚&社会的に叩かれまくるという感じか。そして紫は複雑な表情を浮かべるし、茜は当時紫を助けられなかったけど復讐できてよかったと安堵する。うーん、これじゃ容易に想像できちゃうので多分違う結末になっているとは思うけど。
少し前にグルーミングを題材にした映画「ジェニーの記憶」が話題になっていた。これは中年女性となったジェニーが13歳のころの大人との恋愛を思い出すというストーリー。最初は、13歳の自分は大人と恋愛するほど大人びていたと思っていたジェニーだったが、当時の写真を見てみると想像の中よりもずっと子どもで自分がされたおぞましいグルーミングに気がついてしまう。
こういうことって本当によくあると思うし、相手の男が一切悪いと思っていないことも多いと思う。そう思うと、20年前大人たちと付き合っていた少女たちや、関係を持ったと話していた少女たちは本当に自分が心から願ってその関係を持ったのだろうか、と暗い気持ちになった。結婚した人もいる。幸せだろうと思う。でも当時彼女は15歳くらいだった。相手の20歳以上年上の“彼氏”は本気であったし、両親にもすぐにあいさつにいっていて、個人情報になるので伏せるけど真剣な交際のためにいろいろなことを実行していた。でも年齢差は20歳以上。彼女はものすごい美少女で感性豊かな人で、小説に登場するような人物で、そりゃ男は誰も惚れるよねというような人だった。そういえば、大人と交際していた少女たちは皆、振り返るほどの美少女が多かった。思い返せば。