九段理江『悪い音楽』(『Schoolgirl』収録)めちゃくちゃおもしろかった。というかこの作家好きだ。
著名な音楽家の娘として生まれた主人公が若干サイコパスというか、メタ視点できすぎて目の前の事象を淡々と分析しすぎる感じであまり人間ぽくないんだけど、そんな彼女が人生においてのエラーに巻き込まれていく話。主人公は完全にサイコパスで共感能力も抜け落ちてて、でも賢いから相手がどういうつもりで何を思っているのかはちゃんと把握している。そしてどこか人間臭い普通の人々を冷笑していて、でも嫌な奴だけど嫌悪するようなタイプでもなく、ユーモアを含んだモノローグがとてもおもしろかった。小説で爆笑したのっていつくらいぶりだろう。芥川賞の候補にもあがってるけど、今一番彼女が受賞に近いのでは?
小砂川チト『猿の戴冠式』は芥川賞候補作。他にないアイデア、卓越した文章力、丁寧な描写。でも小説として大事なものが欠けているように思う。本人は書いていて楽しかっただろうと思う。担当編集もそれに巻きこまれて、すごいすごい! と熱にうかされたようになったのだろうと思う。でも読んでいてものすごく疲れたし、あと何ページなんだろうと何度も何度も確認した。たしかな才能は感じられるし、彼女はいつかすごくておもしろい作品を書いてくれるだろうと期待。
植本一子の待望の新作『こころはひとりぼっち』。植本一子には日記をベースとした多数の著作があり、中でも特に評価が高いのは亡くなったラッパーの夫であるECDとの確執や分かりあえなささ、恋人や母親との複雑な関係を描いた『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』3部作(勝手に3部作といってるだけだけど私が)になる。
ここまで書くのだろうか、とハラハラし手に汗握りながら、ときに冷や汗をかきながら読み進めた。そして私はこの作品の中で何度も彼女の視点に救われることになる。とりあえず出ている書籍はここ2~3カ月で購入してほとんど読み、手をつけるものがなくなってきたのでnoteで公開されている文章を買うかどうするか…と迷っていた矢先に、よく行く本屋でこの『こころはひとりぼっち』が置かれていて歓喜した。
この作品に至るまでに、ECDの死後につづられた『台風一過』があり、そこには10歳年下の恋人との生活が書かれていた。その後、『愛は時間がかかる』で他人への依存気質を治療し恋人との関係が変化したという植本。たぶん時間軸としてはこの後にnoteでの出来事があって、今作に繋がってくると思う。
今作では何と、その10歳年下の恋人と破局しており、長期連絡が取れない状態になった後手紙が届いたというところからスタートする。娘たちとも仲が良かった恋人とは結婚するものだろうと思っていたので、ものすごく驚いたと同時に大丈夫なのだろうか…と読者という立場ながら心配になった。しかし、もちまえの強靭なバランス力で自らの心と向き合い、書くという作業で丁寧に丁寧に自らを癒やしていく様子は、彼女の新しい一面を垣間見たようで静かに感動した。
植本作品を読みたいという衝動は、彼女の激しい感情を目撃したいという野次馬根性があったからだ。もちろんそれだけではないが、センセーショナルな感情に圧倒され揺さぶられ、息を飲む瞬間の中毒になっていたと思う。
でも今作では静かに淡々と自分自身に向き合っていく彼女の姿に心打たれると同時に、『台風一過』や『愛は時間がかかる』にはなかったような辛抱強く、それでいて我慢のような無理を自らに強いるわけでもない、自分をいたわりながら癒やしていく彼女のあたらしい姿があったように思う。そしてそれは文章に見事に反映され、読み手に感動を与えているのでは。
いつだったか、彼女と親しい編集者が、彼女が今後フィクションである小説を書くか書かないかのことに言及していたと思う。エッセイや自叙伝ではおもしろかった人が、フィクションを書き始めたら途端におもしろくなくなったとかそういう話をしていたと思う。
これはよくある話だけど、植本の今作を読んだら、彼女なら日記作品だけでなくフィクションもおもしろいものを書いてくれるのではないかという期待が沸き起こった。ただ、彼女が小説を書きたがっているかどうかは分からない。本人に意思があるのなら、いつかぜひ読んでみたいと思う。
*
峰浪りょう『少年のアビス』15巻。死んだと思った夕子ママがしぶとく生きていて、主人公が色々と全てを諦めて愛の告白をしてきた柴ちゃん先生とのハッピーエンドを歩みはじめそうな巻。いやそんな未来たぶんないだろうよ、と思いながらも、序盤では気持ち悪くてしょうがなった柴ちゃん先生がいつの間にかかなり好きなキャラになってるの不思議。というか世間的には柴ちゃん先生って最初から人気だよね。
今回は、現在は母となり幸せな中年女性を具現化したような似非森先生の元彼女がチャコ&主人公に接触。これがもう! めちゃくちゃ作者の悪意を感じて(褒めてる)! 田舎にいてもそのうち誰かと結婚できて子ども産んで幸せなBBAになるから特別になるの諦めよ? っていうクソバイスがなかなか絶望的で良かった。
少しずつ現役世代が、結婚しても子ども産んでも幸せになれなくない? って気付き始めたから独身やDINKSが増えている昨今、産んで育てた子どもの逆襲とか、軽度から重度までの毒親のやばい所業とかがネット普及のおかげで明るみになって、もともと大して親になりたくなかった人とか、なんで体と脳に大ダメージ負わせてまで産まなきゃあかんの?? って至極まっとうなことを思っていた女子たちが産まない選択をしてるぽいんだけど、その他でチャコみたいな特別になりたい系女子はいつの時代も一定数いるように感じる。そしてそんな子に、幸せになれるかどうかわかんない平凡な未来を突きつけて目を細めることがどれほどの暴力か。
切なくて淡くて狂おしい人生の主人公でいていいんだよ、と思う。たとえそれがどんな結末を迎えようとも。私には幸せそうな笑顔を浮かべていた似非森先生の元カノの方が不幸に見えた。家庭という檻に閉じ込められて諦めて、それがあたかも幸せだと思い込みながら生きることのどこが幸せなんだろうか。似非森とうっすらと関わってる時点でもう幸せじゃないだろうそれ、と突っ込みながら、何歳になってもたぶん人は物語の登場人物でできれば主人公でいたいのだろうなと感じた。次巻も楽しみ。
著名な音楽家の娘として生まれた主人公が若干サイコパスというか、メタ視点できすぎて目の前の事象を淡々と分析しすぎる感じであまり人間ぽくないんだけど、そんな彼女が人生においてのエラーに巻き込まれていく話。主人公は完全にサイコパスで共感能力も抜け落ちてて、でも賢いから相手がどういうつもりで何を思っているのかはちゃんと把握している。そしてどこか人間臭い普通の人々を冷笑していて、でも嫌な奴だけど嫌悪するようなタイプでもなく、ユーモアを含んだモノローグがとてもおもしろかった。小説で爆笑したのっていつくらいぶりだろう。芥川賞の候補にもあがってるけど、今一番彼女が受賞に近いのでは?
小砂川チト『猿の戴冠式』は芥川賞候補作。他にないアイデア、卓越した文章力、丁寧な描写。でも小説として大事なものが欠けているように思う。本人は書いていて楽しかっただろうと思う。担当編集もそれに巻きこまれて、すごいすごい! と熱にうかされたようになったのだろうと思う。でも読んでいてものすごく疲れたし、あと何ページなんだろうと何度も何度も確認した。たしかな才能は感じられるし、彼女はいつかすごくておもしろい作品を書いてくれるだろうと期待。
植本一子の待望の新作『こころはひとりぼっち』。植本一子には日記をベースとした多数の著作があり、中でも特に評価が高いのは亡くなったラッパーの夫であるECDとの確執や分かりあえなささ、恋人や母親との複雑な関係を描いた『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』3部作(勝手に3部作といってるだけだけど私が)になる。
ここまで書くのだろうか、とハラハラし手に汗握りながら、ときに冷や汗をかきながら読み進めた。そして私はこの作品の中で何度も彼女の視点に救われることになる。とりあえず出ている書籍はここ2~3カ月で購入してほとんど読み、手をつけるものがなくなってきたのでnoteで公開されている文章を買うかどうするか…と迷っていた矢先に、よく行く本屋でこの『こころはひとりぼっち』が置かれていて歓喜した。
この作品に至るまでに、ECDの死後につづられた『台風一過』があり、そこには10歳年下の恋人との生活が書かれていた。その後、『愛は時間がかかる』で他人への依存気質を治療し恋人との関係が変化したという植本。たぶん時間軸としてはこの後にnoteでの出来事があって、今作に繋がってくると思う。
今作では何と、その10歳年下の恋人と破局しており、長期連絡が取れない状態になった後手紙が届いたというところからスタートする。娘たちとも仲が良かった恋人とは結婚するものだろうと思っていたので、ものすごく驚いたと同時に大丈夫なのだろうか…と読者という立場ながら心配になった。しかし、もちまえの強靭なバランス力で自らの心と向き合い、書くという作業で丁寧に丁寧に自らを癒やしていく様子は、彼女の新しい一面を垣間見たようで静かに感動した。
植本作品を読みたいという衝動は、彼女の激しい感情を目撃したいという野次馬根性があったからだ。もちろんそれだけではないが、センセーショナルな感情に圧倒され揺さぶられ、息を飲む瞬間の中毒になっていたと思う。
でも今作では静かに淡々と自分自身に向き合っていく彼女の姿に心打たれると同時に、『台風一過』や『愛は時間がかかる』にはなかったような辛抱強く、それでいて我慢のような無理を自らに強いるわけでもない、自分をいたわりながら癒やしていく彼女のあたらしい姿があったように思う。そしてそれは文章に見事に反映され、読み手に感動を与えているのでは。
いつだったか、彼女と親しい編集者が、彼女が今後フィクションである小説を書くか書かないかのことに言及していたと思う。エッセイや自叙伝ではおもしろかった人が、フィクションを書き始めたら途端におもしろくなくなったとかそういう話をしていたと思う。
これはよくある話だけど、植本の今作を読んだら、彼女なら日記作品だけでなくフィクションもおもしろいものを書いてくれるのではないかという期待が沸き起こった。ただ、彼女が小説を書きたがっているかどうかは分からない。本人に意思があるのなら、いつかぜひ読んでみたいと思う。
*
峰浪りょう『少年のアビス』15巻。死んだと思った夕子ママがしぶとく生きていて、主人公が色々と全てを諦めて愛の告白をしてきた柴ちゃん先生とのハッピーエンドを歩みはじめそうな巻。いやそんな未来たぶんないだろうよ、と思いながらも、序盤では気持ち悪くてしょうがなった柴ちゃん先生がいつの間にかかなり好きなキャラになってるの不思議。というか世間的には柴ちゃん先生って最初から人気だよね。
今回は、現在は母となり幸せな中年女性を具現化したような似非森先生の元彼女がチャコ&主人公に接触。これがもう! めちゃくちゃ作者の悪意を感じて(褒めてる)! 田舎にいてもそのうち誰かと結婚できて子ども産んで幸せなBBAになるから特別になるの諦めよ? っていうクソバイスがなかなか絶望的で良かった。
少しずつ現役世代が、結婚しても子ども産んでも幸せになれなくない? って気付き始めたから独身やDINKSが増えている昨今、産んで育てた子どもの逆襲とか、軽度から重度までの毒親のやばい所業とかがネット普及のおかげで明るみになって、もともと大して親になりたくなかった人とか、なんで体と脳に大ダメージ負わせてまで産まなきゃあかんの?? って至極まっとうなことを思っていた女子たちが産まない選択をしてるぽいんだけど、その他でチャコみたいな特別になりたい系女子はいつの時代も一定数いるように感じる。そしてそんな子に、幸せになれるかどうかわかんない平凡な未来を突きつけて目を細めることがどれほどの暴力か。
切なくて淡くて狂おしい人生の主人公でいていいんだよ、と思う。たとえそれがどんな結末を迎えようとも。私には幸せそうな笑顔を浮かべていた似非森先生の元カノの方が不幸に見えた。家庭という檻に閉じ込められて諦めて、それがあたかも幸せだと思い込みながら生きることのどこが幸せなんだろうか。似非森とうっすらと関わってる時点でもう幸せじゃないだろうそれ、と突っ込みながら、何歳になってもたぶん人は物語の登場人物でできれば主人公でいたいのだろうなと感じた。次巻も楽しみ。