九段理江『東京都同情塔』を読む。タイトルからスカイツリーの麓にある下町を中心に繰り広げられるほんわか愛憎劇なのかと思ったけど、そんなわけないよなと。
物語は同情に値する受刑者を収容するためのシンパシータワートーキョーの建築を担当することとなる、若手建築家である牧名沙羅と、働いていた高級ブランド店で彼女にナンパされた一回り以上若い美形の恋人・拓人を中心に、幸福学者のセト・マセキが提唱したホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)に翻弄され静かに進化(退化)していく世界を描いた傑作。
いやほんとめちゃくちゃおもしろかった。九段理江はデビュー作の『悪い音楽』の時点で、そのセンスたっぷりな皮肉を語彙力爆弾で突きつけて読み手を九段ワールドに巻きこみ、『School girl』では流れるような文体に上質な嫌味をたっぷりデコレーションして読者を中毒にさせた(と思う)。いろんな賞の候補にあがり、受賞したりしなかったりしたりしていたけど、後者はうまいなあとは思っても刺さるものなかった。
でも、『東京都同情塔』はもう完璧におもしろかった。同情されるべき人々が犯罪を犯しても彼らは精神的に保護されるべき存在で、一歩間違ったら自分もそうなったかもしれないんだから一等地に建てられるコンシェルジュ付きタワマンで外出不可ではあるものの優雅に過ごしてもらいましょう、という世界が舞台で、そんなシンパシータワー(同情塔)をデザインして建設するのが“犯罪に無縁な人生を送ってきた”超エリートの沙羅という、現実世界にもよくありがちな構図も皮肉が効いている。
また、作中に“いろんなことに忖度しながら世界はこわれていく”みたいな記述があったと思うんだけど、これはたぶんこの世界で今言っちゃいけないけどみんな思ってることなんだよね。他にもところどころ著者に主張が紛れていて、例えば沙羅が過去にレイプの被害に遭っているけれど彼女は建築家として「人々が出たり入ったりするものを作るのが好き」みたいなことを言うシーンがあって、つまりはそういう悲惨な過去があったとしても行為を否定したり必ずしも嫌いになったりするわけではないという暗喩なんだろうと感じた。そうすべき、そうあるべき、という人の期待こそ二次被害だよなあと。
拓人の母が14で息子を出産して、沙羅と拓人の年齢差はおそらく14。母親の姿と重ね合わせるところは何ともセンチメンタルで気持ち悪くてよかった。人間ってそういうところあるよね、と感情や本心じゃ言い切れない部分。
途中で登場するマックスもメタ視点の役割を担っていて、まあそう思うよね、でもおかしな世界だよね、それが日本だよねって描いていて、ああ何ておもしろいんだろうと。
著者はたぶん日本が最近特におかしいよね、と思っているんだろうと思う。そして皆思っていても、この小さな島国に住むしかないから受け入れて、文句を言う人をひとつずつ潰して安心して日々をやり過ごしている。
芥川賞獲ってほしいなあ。いやべつに獲らなくてもおもしろいことに変わりはないので、良いのだけど。次々と新作を出してほしい。
物語は同情に値する受刑者を収容するためのシンパシータワートーキョーの建築を担当することとなる、若手建築家である牧名沙羅と、働いていた高級ブランド店で彼女にナンパされた一回り以上若い美形の恋人・拓人を中心に、幸福学者のセト・マセキが提唱したホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)に翻弄され静かに進化(退化)していく世界を描いた傑作。
いやほんとめちゃくちゃおもしろかった。九段理江はデビュー作の『悪い音楽』の時点で、そのセンスたっぷりな皮肉を語彙力爆弾で突きつけて読み手を九段ワールドに巻きこみ、『School girl』では流れるような文体に上質な嫌味をたっぷりデコレーションして読者を中毒にさせた(と思う)。いろんな賞の候補にあがり、受賞したりしなかったりしたりしていたけど、後者はうまいなあとは思っても刺さるものなかった。
でも、『東京都同情塔』はもう完璧におもしろかった。同情されるべき人々が犯罪を犯しても彼らは精神的に保護されるべき存在で、一歩間違ったら自分もそうなったかもしれないんだから一等地に建てられるコンシェルジュ付きタワマンで外出不可ではあるものの優雅に過ごしてもらいましょう、という世界が舞台で、そんなシンパシータワー(同情塔)をデザインして建設するのが“犯罪に無縁な人生を送ってきた”超エリートの沙羅という、現実世界にもよくありがちな構図も皮肉が効いている。
また、作中に“いろんなことに忖度しながら世界はこわれていく”みたいな記述があったと思うんだけど、これはたぶんこの世界で今言っちゃいけないけどみんな思ってることなんだよね。他にもところどころ著者に主張が紛れていて、例えば沙羅が過去にレイプの被害に遭っているけれど彼女は建築家として「人々が出たり入ったりするものを作るのが好き」みたいなことを言うシーンがあって、つまりはそういう悲惨な過去があったとしても行為を否定したり必ずしも嫌いになったりするわけではないという暗喩なんだろうと感じた。そうすべき、そうあるべき、という人の期待こそ二次被害だよなあと。
拓人の母が14で息子を出産して、沙羅と拓人の年齢差はおそらく14。母親の姿と重ね合わせるところは何ともセンチメンタルで気持ち悪くてよかった。人間ってそういうところあるよね、と感情や本心じゃ言い切れない部分。
途中で登場するマックスもメタ視点の役割を担っていて、まあそう思うよね、でもおかしな世界だよね、それが日本だよねって描いていて、ああ何ておもしろいんだろうと。
著者はたぶん日本が最近特におかしいよね、と思っているんだろうと思う。そして皆思っていても、この小さな島国に住むしかないから受け入れて、文句を言う人をひとつずつ潰して安心して日々をやり過ごしている。
芥川賞獲ってほしいなあ。いやべつに獲らなくてもおもしろいことに変わりはないので、良いのだけど。次々と新作を出してほしい。