先日に引き続き、代理出産について興味があったので『こわれた絆 代理母は語る』(ジェニファー・ラール/メリンダ・タンカード・リースト/レナーテ・クライン【編】柳原良江【監訳】 生活書院)を読んでみた。
まず、私は前回もつづったように代理出産の制度については賛成で、代理母たちには高額の費用を支払うべきだという考え。生まれつき子宮がない人、病気で失った人、子宮はあるけどどうしても妊娠できない人はいる。そして、どうしても自分の血縁のある子どもがほしい人はかなりいて、これはもう本能。自分の子が無理なら里子をもらえという意見もあって一理あるけど、本能レベルでそれが難しい人がいることを理解すべきだと思う。だからといって潔く子をもたない人生を受け入れろという声もあるかもしれないが、それこそ大多数の人が手にしているものを「おまえは持っちゃダメ」っていうのはあまりに残酷では。
で、代理出産制度の利用なんだけど、命がかかってるし人様の体を使わせていただいて出産してもらうわけだから1000万円くらい本人の懐に入るようにすべきだと思う。実際亡くなった人もいるし、病気になって後遺症が残った人もいる。1000万でも少ないという人はいるだろうけど、それならばそもそも代理母にならないという選択肢もあるわけで。でも彼女たちにはどうしても代理母をしなくてはならない理由があった。
『こわれた絆』を読むと、各国の代理母経験者がインタビューに答えていて、各国の法律も丁寧にまとめられていて非常に読み応えがあった。
産まれた子どもの親権が法的に誰のものになるのかも各国で全く違う。最初から代理母に親権はなく、気が変わって子どもを渡したくなくなっても絶対に依頼者に渡さないといけない国。最初は代理母に親権があって、家裁に申し立てて親権が変更される国。代理母もインタビューを読む限り、依頼者へ親権を渡したくない人がいて、裁判になった例もある。
妊娠するとホルモンバランスの影響でおなかの子への思いが増大して、妊娠前には冷静にビジネスとして依頼を受けていたとしても、マタニティーライフの中で強烈に変化することがあるそうだ。
代理出産仲介業者はそんな代理母たちを厳しく批判するが、本書では、人の心は変化するものだとして代理母に寄り添った構成となっている。これについてはどちらの意見にも納得する部分があると思ったけど、あくまで仕事で受けたことなんだからとは思ったけど本書を読んだら少し思いに変化があった。というのも、あまりに依頼者がアレだったりする例がいくつかあって。どう考えても子ども渡したらやばいでしょ、という場合は国がストップかけようよ、と思ったのです。
さて。
そんな代理母たちが代理出産を担う理由はほぼほぼお金。まあそうだよね。綺麗事はやめてお金は大事だよ、と。やりがいや人助けだという人もいるけど、多くは年収の何倍ものお金を手にしたくて、それで家族を養ったり家を建てたりという願いを叶えるために子宮を貸す。
悪いことじゃない。なにせ、まだまだ裕福な日本とは事情が違う。登場した例だと、彼女たちは年収の40倍の金銭を一度の代理出産で手にする。40倍。生涯年収にほぼ匹敵する。でもこれが日本だと、それほどまで大きな金額ではない。年収が日本円にすると5万円とか10万円の国なので。
でも。例えば日本人の私たちの立場に換算すると、平均年収が400万として、40倍だから1億6000万円。年収がその半分だとしても8000万円。もしこの金額が1度の代理出産で手にできるとしたら、ためらいなく踏み切る人は結構いるんじゃ?
なにごともまず、自分の立場に置き換えて考えてみることが大事だよね。
本書では代理出産の禁止を訴えているけど、でも禁止されてしまったら貧困のさなかであえぎながら生活している彼女たちが唯一すがった救済の道が閉ざされてしまうことになる。だって他に彼女たちが年収の何十倍もの金銭を手にする方法は売春(でもそこまで大きなお金にはならない)くらいしかないのだから。
人権侵害だといわれ“裕福な知識人”たちが禁止を求めて活動しているけど、本当にそれでいいのだろうか。代理母経験者で反対しているのはつらい思いや嫌な思いをした人たちだけど、そもそもはお金を手にしたいと思うほど貧困に苦しんでいたからで、同じように苦しみながら代理母という手段を選んだ人の存在は考える余裕がないのだろうか。
本書に登場する代理母たちをまるでもののように扱う医師や依頼者、エージェントこそが人の皮を被った悪魔なだけで、制度そのものについてはそこまで問題なんだろうかと思う。登場したヤバい依頼者や医者たちは、本当に代理母たちを人間扱いしていない。妊娠中にまともに食事させないとか。肌の色を理由に奴隷扱いし始めるとか。いやどう考えもあたおかでしょ……。この人たちは裕福で何不自由ない生活を送っているだろうけれど、問題なのは彼らのような人格的にアウトな人間が制度を利用しているということ。そうそう、やっばいペドが代理出産制度で子どもゲットしたという恐ろしい事例もあった。依頼者もちゃんとスクリーニングしよ……。
代理母たちの人権を守り、医師やエージェント、依頼者にはちゃんと彼女たちを手厚く保護し守るようきっちり教育することが先ではないのか。まじで。
あとそもそも不思議なのが人工子宮がもうそろそろ完成されてもいいと思うのに、いつになっても聞こえてこないのはなぜなぜなの。遅すぎる。
10カ月近くも母体を犠牲にして胎内で人間を育てること自体が個人的には人権侵害に思えてしょうがない。全ての男性は産んでもらう立場であるのに感謝の気持ちをもたない人が多すぎる。健診費用は保険が利かない。出産費用は高額。出生前診断も高額。加えて、妊娠中におこるさまざまなマイナートラブルで体が弱り、産後も死ぬまで苦しむ人がいる。産後の脳萎縮が戻らない人もいる(ダイエットとかで脳萎縮したら戻らないのに妊娠出産の脳萎縮だけが都合よく戻るわけがない)。体をボロボロにしてまで産むメリットがないこの世界で、本能とか母性を人質に取られて「産まないと後悔する」と脅迫されて産みたくない人までも産まされて後悔して母になりたくなかったと叫ぶ人たちがいるのに、それを自分勝手だという。地獄すぎる。
世界中の研究者が頑張って人工子宮を早期に開発したほうがいいと思う。あーでもどうせ人工子宮で子どもを育てる人と母体で育てる人に隔たりができて変なマウント合戦になるんだろうなー……
まず、私は前回もつづったように代理出産の制度については賛成で、代理母たちには高額の費用を支払うべきだという考え。生まれつき子宮がない人、病気で失った人、子宮はあるけどどうしても妊娠できない人はいる。そして、どうしても自分の血縁のある子どもがほしい人はかなりいて、これはもう本能。自分の子が無理なら里子をもらえという意見もあって一理あるけど、本能レベルでそれが難しい人がいることを理解すべきだと思う。だからといって潔く子をもたない人生を受け入れろという声もあるかもしれないが、それこそ大多数の人が手にしているものを「おまえは持っちゃダメ」っていうのはあまりに残酷では。
で、代理出産制度の利用なんだけど、命がかかってるし人様の体を使わせていただいて出産してもらうわけだから1000万円くらい本人の懐に入るようにすべきだと思う。実際亡くなった人もいるし、病気になって後遺症が残った人もいる。1000万でも少ないという人はいるだろうけど、それならばそもそも代理母にならないという選択肢もあるわけで。でも彼女たちにはどうしても代理母をしなくてはならない理由があった。
『こわれた絆』を読むと、各国の代理母経験者がインタビューに答えていて、各国の法律も丁寧にまとめられていて非常に読み応えがあった。
産まれた子どもの親権が法的に誰のものになるのかも各国で全く違う。最初から代理母に親権はなく、気が変わって子どもを渡したくなくなっても絶対に依頼者に渡さないといけない国。最初は代理母に親権があって、家裁に申し立てて親権が変更される国。代理母もインタビューを読む限り、依頼者へ親権を渡したくない人がいて、裁判になった例もある。
妊娠するとホルモンバランスの影響でおなかの子への思いが増大して、妊娠前には冷静にビジネスとして依頼を受けていたとしても、マタニティーライフの中で強烈に変化することがあるそうだ。
代理出産仲介業者はそんな代理母たちを厳しく批判するが、本書では、人の心は変化するものだとして代理母に寄り添った構成となっている。これについてはどちらの意見にも納得する部分があると思ったけど、あくまで仕事で受けたことなんだからとは思ったけど本書を読んだら少し思いに変化があった。というのも、あまりに依頼者がアレだったりする例がいくつかあって。どう考えても子ども渡したらやばいでしょ、という場合は国がストップかけようよ、と思ったのです。
さて。
そんな代理母たちが代理出産を担う理由はほぼほぼお金。まあそうだよね。綺麗事はやめてお金は大事だよ、と。やりがいや人助けだという人もいるけど、多くは年収の何倍ものお金を手にしたくて、それで家族を養ったり家を建てたりという願いを叶えるために子宮を貸す。
悪いことじゃない。なにせ、まだまだ裕福な日本とは事情が違う。登場した例だと、彼女たちは年収の40倍の金銭を一度の代理出産で手にする。40倍。生涯年収にほぼ匹敵する。でもこれが日本だと、それほどまで大きな金額ではない。年収が日本円にすると5万円とか10万円の国なので。
でも。例えば日本人の私たちの立場に換算すると、平均年収が400万として、40倍だから1億6000万円。年収がその半分だとしても8000万円。もしこの金額が1度の代理出産で手にできるとしたら、ためらいなく踏み切る人は結構いるんじゃ?
なにごともまず、自分の立場に置き換えて考えてみることが大事だよね。
本書では代理出産の禁止を訴えているけど、でも禁止されてしまったら貧困のさなかであえぎながら生活している彼女たちが唯一すがった救済の道が閉ざされてしまうことになる。だって他に彼女たちが年収の何十倍もの金銭を手にする方法は売春(でもそこまで大きなお金にはならない)くらいしかないのだから。
人権侵害だといわれ“裕福な知識人”たちが禁止を求めて活動しているけど、本当にそれでいいのだろうか。代理母経験者で反対しているのはつらい思いや嫌な思いをした人たちだけど、そもそもはお金を手にしたいと思うほど貧困に苦しんでいたからで、同じように苦しみながら代理母という手段を選んだ人の存在は考える余裕がないのだろうか。
本書に登場する代理母たちをまるでもののように扱う医師や依頼者、エージェントこそが人の皮を被った悪魔なだけで、制度そのものについてはそこまで問題なんだろうかと思う。登場したヤバい依頼者や医者たちは、本当に代理母たちを人間扱いしていない。妊娠中にまともに食事させないとか。肌の色を理由に奴隷扱いし始めるとか。いやどう考えもあたおかでしょ……。この人たちは裕福で何不自由ない生活を送っているだろうけれど、問題なのは彼らのような人格的にアウトな人間が制度を利用しているということ。そうそう、やっばいペドが代理出産制度で子どもゲットしたという恐ろしい事例もあった。依頼者もちゃんとスクリーニングしよ……。
代理母たちの人権を守り、医師やエージェント、依頼者にはちゃんと彼女たちを手厚く保護し守るようきっちり教育することが先ではないのか。まじで。
あとそもそも不思議なのが人工子宮がもうそろそろ完成されてもいいと思うのに、いつになっても聞こえてこないのはなぜなぜなの。遅すぎる。
10カ月近くも母体を犠牲にして胎内で人間を育てること自体が個人的には人権侵害に思えてしょうがない。全ての男性は産んでもらう立場であるのに感謝の気持ちをもたない人が多すぎる。健診費用は保険が利かない。出産費用は高額。出生前診断も高額。加えて、妊娠中におこるさまざまなマイナートラブルで体が弱り、産後も死ぬまで苦しむ人がいる。産後の脳萎縮が戻らない人もいる(ダイエットとかで脳萎縮したら戻らないのに妊娠出産の脳萎縮だけが都合よく戻るわけがない)。体をボロボロにしてまで産むメリットがないこの世界で、本能とか母性を人質に取られて「産まないと後悔する」と脅迫されて産みたくない人までも産まされて後悔して母になりたくなかったと叫ぶ人たちがいるのに、それを自分勝手だという。地獄すぎる。
世界中の研究者が頑張って人工子宮を早期に開発したほうがいいと思う。あーでもどうせ人工子宮で子どもを育てる人と母体で育てる人に隔たりができて変なマウント合戦になるんだろうなー……