ようやく漫画『年上の人』を読んだ。映画「ファルコン・レイク」の原作で、バスティアン・ヴィヴェスの秀作。フランスの漫画なのでとにかく光の加減が美しいのと、人々の自由さが日本とはまるで違っていて流れるような気持ちの変化に学ぶものがある。そうであることから生まれる朗らかさというか。



物語は主人公のアントワーヌが、親同士が幼馴染の3歳年上のアントワーヌと再会して恋に落ちるという話。映画よりももっと2人の関係が密接で、だからこその切なさもありながら。

幼馴染で姉のような気持ちと恋人のような思いと。その間で揺れる背伸びしたい年頃の女子。ひと夏の甘酸っぱい恋愛ものって国内外でかなり多いけど、夏の暑さが体温をよりあげて気分を昂揚させるのかな。映画も漫画も名作でした。


とある文献を読んで思うこと。

病の当事者に寄り添う内容になっているのはとても良いと思う一方で、専門家が当該の発症者の犯罪率は低いという発言があった。軽犯罪に関しての全体数ではその解釈で間違いないのだけど、凶悪犯罪に限った場合の割合は残念ながら高い。割合の話なので当然数は少ない。でも多分これを書いてしまうと本書のテーマから逸脱してしまうのと、手に取った当事者を傷つけてしまう可能性を考慮して入れなかったのだとは思う。

だとしても、その点に関しては最初から触れなかった方が良かったのではないかなと感じた。

日本には刑法39条という問題があって、これは被害者遺族を非常に苦しめる原因となっている。39条が適用されて無罪判決となると実際には無罪放免になるわけではないものの、やはり懲役などの形で罪をしっかりと償うのが人として正しい姿では。それが本人のせいではない病がそうさせた犯罪だとしても。外野がいろいろ言っても絶対変わることはないので、差別を助長しないためにも、病の当事者たちが撤廃を訴えていったらいいのにな、と思うけど全然そういう動きはないので、これがかなり原因して恐怖を感じている人が減ることは難しいと感じている。

なんだっけ、当人の視点で書かれたifの漫画が前に流れてきたことがあったけど、だからそれは当人の事情であって被害者にはそれは全く関係ない話、だということを理解するのはそんなにも難しいのだろうか。

例えば自分や大事な被害にあったとして、相手が病なので無罪となりましたとなったらやりきれない。本心はそれどころじゃない。憎しみや恨みやとんでもない感情に支配されることは容易に想像できる。だって人間なのだから。その人も自分も、皆。公平で平等な世界なんかどこにもないけど、せめて彼らが健やかに幸せに生活するためにも、差別を助長するような法律はなくすべきだと思う。

人間は基本的に瞬時に区別・差別するようにできている。見た目、スペック、社会的地位、家族構成などから。そんなヒトという生き物に優しいジャッジを期待すること自体が最初から無理筋というか。病気だから重罪を犯しても無罪です、被害者になっても何の保証もないです、と“保証”された人がいたとしたら、じゃあ怖いし絶対に被害に遭いたくないから近づかないでおこう、となるのがごくごく当たり前の感覚だと思う。意地悪とか冷たいとか差別的とかではなく、危機管理能力が備わった普通の人間の判断だと思う。その一因が、国が昔に作った法律なわけで。

もちろんほとんどの人は誰かを傷つけることなくちゃんと服薬して過ごしているけど、どうしても中には他害傾向の人がいて病が原因して抑えがきかなかったりする。だから薬をちゃんと飲みましょう、という話なんだけど飲まずに妄想をつのらせてニュースになるような犯罪に走ってしまう人もいる。

孤独な当事者をどう保護していくのかが課題だと思う。本当に。