くらんけ『私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年』を読む。
非常に読みやすいし著者のたどってきた病歴、主張、日本の安楽死周りの問題点などが丁寧にまとめられていた。こんなに聡明で文章もうまくて家族仲も良いのに死を希求するのはもったいないなと思うのは、読後だと著者に対して失礼だなと思うようになった。いくら環境が良かったとしても、病は想像以上に生活の質を落とす。
それは健康な人には絶対に分からない。ということがたぶん世の中をつくっている人たちには死ぬ間際まで分からないんだろうと思う。
著者は6歳でCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)を発症。ありとあらゆる治療を受けたけれど寛解することはなく、一度はスイスに渡航して安楽死を試みるも直前で断念。現在も存命だ。
世の中には大小さまざまな不調を抱えながらも生きている人が途方もなく多い。指定難病だと診断されると支援の対象だし、治癒が見込めない病気だとやはり支援対象になることもある。
でも、そこまでじゃないけど、めちゃくちゃ不調でその原因もわからず、ほぼ寝たきりだったり働きに出れるレベルではない人たちはいて、そういう人が結構自殺している印象がある。慢性疲労症候群も診断おりるの難しいしね。謎の疲れ、謎の痛み、ってほんとよく聞く。
支援対象の人たちはもちろんのこと、そうでない不調を抱えながらも健康な人と同じように生きることを強制されている人たちの人生はかなり苦痛の連続だと思う。体が痛い、思い、つらい、すぐ発熱する、だるい、それに引っ張られて気分が塞ぐ、鬱になる、それが延々と死ぬまで終わらない。
落ち込んだら病院に行け、と簡単に言うけれど、精神科医ができることは限られている。カウンセラーも外れを引いたら金ドブ。臨床心理士も認定心理士も優秀な人は多いけど、大変な試験や勉強量をクリアできる健康な体に十分な環境がある人って、相当頭がよくないと不調な人たちの立場で考えられないんだよね。悪気もなく。
薬は効く効かないに差がありすぎていて、ネットでは効いたという人の声が大きくピックアップされるから、あたかも「鬱になったら薬を飲めばいいじゃない!」と思うかもしれない。でも、それは大間違い。例えば、躁鬱なのにうつ病だと誤診されて処方薬がどれもこれも効かなくて10年近く経過して、ようやく躁鬱だと診断が下りて第一選択薬が効いた、なんて話がザラにある。さすがに主治医の頭悪すぎだろ、と思うけど精神科は誤診が多い。やる気ないんか、って思うこともあるけど、まあガチでやる気がない先生もいて、一方で本当に真摯に誠実に患者と向き合う先生もいるけど、問題は前者なわけで是正しろよとは常々思う。
薬が効いたらいいけど、ちゃんとした診断が下っても効かないことあるし、効いてもアレルギーや肝臓腎臓の不調で飲めなくなることもある。だから決して「落ちても薬飲みゃいいでしょ」みたいな思考はやめたほうがいい。ブサイクなら整形すりゃいい→整形失敗めちゃくちゃ多いよ、と同じ感じで、絶対の解決法なんかない。
だから、というわけじゃないけど、どうしてもこの世界が向いていない人たち、病で苦しみ抜いている人たちの最後の駆け込み先として安楽死という制度はあってもいいと思うんだよね。消極的安楽死はもちろんのこと、積極的安楽死も。重度の精神病患者の安楽死を認めている国もある。
日本では自殺が最悪な死に方で、何が何でも生きなきゃいけなくて、飛び降りようとした人をはがいじめしてとどまらせた人を絶賛するような不思議な文化がある。え、でもその後はどうすんの? っていう声が少数派なのがお国柄を表しているよね。助けた人、自殺しようとた人と連絡先交換した? 何なら一緒にごはんとか行ったり遊びに行ったりした? してないよね絶対。その人の悩みを少しでも楽にさせられる人だけが助けていいと思う。自殺は衝動的だからその瞬間助けりゃOK、なわけないじゃん。ずっと死にたい人が踏み切るきっかけなんてあちこちに転がってる。どうしても死にたい人は死なせてあげてほしい、って言葉が叩かれるのわけわからない本気で。
体がどうなったとしても、ALSの人が最終的に閉じ込められたとしても何としてでも生きて人間の命がぎりぎりまで燃えつきるところまで頑張らなきゃいけないヘルジャパン。意識がなくなってもその状態でしばらく生きて死んだ人に「◯カ月も頑張ってくれた!」という声をかけちゃうのすごく怖いんだけど。意識がないだけでめっちゃくちゃ苦しいかもしれないのに。生きてて嬉しいのは家族だけでしょう。本人はさっさと楽にさせてって思ってるよ。
自分の命の行き先は自分で決めていいと思っている。だから著者の強い主張は指示したいし、2019年に発生したALS安楽死事件(本書にも登場するけど)は罰せられるものではないと思う。死にたくてしょうがなくてどうしても生きていたくない難病の人に手を貸すのがなぜ悪だとされるのか。
安楽死が国で認められると忖度や圧力から安楽死を選択せざるを得ない人が出てくるからやめろ、という声もあるけれど、そうならないような制度を作ろうとしないのはなぜだろうか。認知症でわけがわからなくなって壁に糞便をぬりたくってまで生きていたい人って、どれくらいいる? そうなる前にころしてくれって思うのが普通では。
病で苦しんでいる人を無理やり生かすことがどれほど苦しいことなのか、やっぱり健康な人たちには絶対に分からないし分かろうともしない。でもちょっと状況が変わってきてはいるので、少しずつ日本も変化していくと良いな。
非常に読みやすいし著者のたどってきた病歴、主張、日本の安楽死周りの問題点などが丁寧にまとめられていた。こんなに聡明で文章もうまくて家族仲も良いのに死を希求するのはもったいないなと思うのは、読後だと著者に対して失礼だなと思うようになった。いくら環境が良かったとしても、病は想像以上に生活の質を落とす。
それは健康な人には絶対に分からない。ということがたぶん世の中をつくっている人たちには死ぬ間際まで分からないんだろうと思う。
著者は6歳でCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)を発症。ありとあらゆる治療を受けたけれど寛解することはなく、一度はスイスに渡航して安楽死を試みるも直前で断念。現在も存命だ。
世の中には大小さまざまな不調を抱えながらも生きている人が途方もなく多い。指定難病だと診断されると支援の対象だし、治癒が見込めない病気だとやはり支援対象になることもある。
でも、そこまでじゃないけど、めちゃくちゃ不調でその原因もわからず、ほぼ寝たきりだったり働きに出れるレベルではない人たちはいて、そういう人が結構自殺している印象がある。慢性疲労症候群も診断おりるの難しいしね。謎の疲れ、謎の痛み、ってほんとよく聞く。
支援対象の人たちはもちろんのこと、そうでない不調を抱えながらも健康な人と同じように生きることを強制されている人たちの人生はかなり苦痛の連続だと思う。体が痛い、思い、つらい、すぐ発熱する、だるい、それに引っ張られて気分が塞ぐ、鬱になる、それが延々と死ぬまで終わらない。
落ち込んだら病院に行け、と簡単に言うけれど、精神科医ができることは限られている。カウンセラーも外れを引いたら金ドブ。臨床心理士も認定心理士も優秀な人は多いけど、大変な試験や勉強量をクリアできる健康な体に十分な環境がある人って、相当頭がよくないと不調な人たちの立場で考えられないんだよね。悪気もなく。
薬は効く効かないに差がありすぎていて、ネットでは効いたという人の声が大きくピックアップされるから、あたかも「鬱になったら薬を飲めばいいじゃない!」と思うかもしれない。でも、それは大間違い。例えば、躁鬱なのにうつ病だと誤診されて処方薬がどれもこれも効かなくて10年近く経過して、ようやく躁鬱だと診断が下りて第一選択薬が効いた、なんて話がザラにある。さすがに主治医の頭悪すぎだろ、と思うけど精神科は誤診が多い。やる気ないんか、って思うこともあるけど、まあガチでやる気がない先生もいて、一方で本当に真摯に誠実に患者と向き合う先生もいるけど、問題は前者なわけで是正しろよとは常々思う。
薬が効いたらいいけど、ちゃんとした診断が下っても効かないことあるし、効いてもアレルギーや肝臓腎臓の不調で飲めなくなることもある。だから決して「落ちても薬飲みゃいいでしょ」みたいな思考はやめたほうがいい。ブサイクなら整形すりゃいい→整形失敗めちゃくちゃ多いよ、と同じ感じで、絶対の解決法なんかない。
だから、というわけじゃないけど、どうしてもこの世界が向いていない人たち、病で苦しみ抜いている人たちの最後の駆け込み先として安楽死という制度はあってもいいと思うんだよね。消極的安楽死はもちろんのこと、積極的安楽死も。重度の精神病患者の安楽死を認めている国もある。
日本では自殺が最悪な死に方で、何が何でも生きなきゃいけなくて、飛び降りようとした人をはがいじめしてとどまらせた人を絶賛するような不思議な文化がある。え、でもその後はどうすんの? っていう声が少数派なのがお国柄を表しているよね。助けた人、自殺しようとた人と連絡先交換した? 何なら一緒にごはんとか行ったり遊びに行ったりした? してないよね絶対。その人の悩みを少しでも楽にさせられる人だけが助けていいと思う。自殺は衝動的だからその瞬間助けりゃOK、なわけないじゃん。ずっと死にたい人が踏み切るきっかけなんてあちこちに転がってる。どうしても死にたい人は死なせてあげてほしい、って言葉が叩かれるのわけわからない本気で。
体がどうなったとしても、ALSの人が最終的に閉じ込められたとしても何としてでも生きて人間の命がぎりぎりまで燃えつきるところまで頑張らなきゃいけないヘルジャパン。意識がなくなってもその状態でしばらく生きて死んだ人に「◯カ月も頑張ってくれた!」という声をかけちゃうのすごく怖いんだけど。意識がないだけでめっちゃくちゃ苦しいかもしれないのに。生きてて嬉しいのは家族だけでしょう。本人はさっさと楽にさせてって思ってるよ。
自分の命の行き先は自分で決めていいと思っている。だから著者の強い主張は指示したいし、2019年に発生したALS安楽死事件(本書にも登場するけど)は罰せられるものではないと思う。死にたくてしょうがなくてどうしても生きていたくない難病の人に手を貸すのがなぜ悪だとされるのか。
安楽死が国で認められると忖度や圧力から安楽死を選択せざるを得ない人が出てくるからやめろ、という声もあるけれど、そうならないような制度を作ろうとしないのはなぜだろうか。認知症でわけがわからなくなって壁に糞便をぬりたくってまで生きていたい人って、どれくらいいる? そうなる前にころしてくれって思うのが普通では。
病で苦しんでいる人を無理やり生かすことがどれほど苦しいことなのか、やっぱり健康な人たちには絶対に分からないし分かろうともしない。でもちょっと状況が変わってきてはいるので、少しずつ日本も変化していくと良いな。