小説『燕は戻ってこない』を読んだ。
先日、稲垣吾郎や内田有紀、石橋静河が主演キャストでドラマ化が決定していたのと、代理出産関連で気になっていたのとで読んでみた。ちなみに、このキャストは当て書きしたんかってほどキャラクターにぴったり。当て書きでないとしたらNHKのドラマ担当者ほんとにこの小説が好きなんだろうなあと感じた。
物語は、代理出産関連の問題点をまんべんなく取り入れて物語に仕上げているという感じ。さすがベストセラー作家、めちゃくちゃ読みやすい。小説ってこんなに読みやすかったっけ、と思うほど。読み終えて気付いたんだけど、桐野夏生は結構読んでたみたい。
さて、物語は貧困から代理出産バイトに手を出す29歳の主人公・リキと、エージェントを通して彼女に代理出産を以来するバレエ名家出身である元トップバレエダンサーの草桶基、その妻で人気イラストレーターの悠子の3人を中心とした物語。サブキャラとしては悠子の親友で人気春画アーティストのりりこやりりこの叔父の画家、基の母で元有名プリマドンナ、悠子の腐れ縁の友人や元彼、デリホスで出会ったセラピストなどが登場する。りりこがうざいと思いながらも結構好きだったなー。
キャラが全員クズ、みたいな感想があちこちにあってどんなものかとワクワクしていたんだけど、たしかに人の本音がボロボロ溢れてくる構成になっていたので、ああーなるほどと思いながら本音って本当に残酷だなあと思ったり。
例えば、基の母が資産家出身でかなりの財産を持っているんだけど、孫がどうしてもほしい理由が、悠子の実家の家族である引きこもりの弟その1とか、弟その2の障害を持つ娘のもとにお金を流出させたくないからで、それを基との会話でやんわり話すシーンがあって。表立って口にすると批判されてしまうようなことだけど、誰しも心の奥底にある社会不適合者への意地悪含んだ厳しい目というのが露悪的に書かれていて、でもこれは世間に存在する同じような立場の人からしたら「当たり前じゃん」って同意するようなことなんだろうなと感じた。
例えば自分が基母のような立場だったとしたら。親族にしょうがないとしかいいようがない理由で引きこもりになった人がいて、自分が死んで夫も死んだらその人のところに自分の財産が流れていくとして。優しい人だったら社会不適合者なんだから大変だよね、そうなったらどうぞ使ってね、って思うのかもしれないけど、たしかに私もそうなるなら推しのアーティストのもとに入るように手配しておくかな、とちょっと思ってしまった。本当はどうぞ使ってって思いたいんだけど、なんだろう、自分がどうでもいい存在じゃなくて自分が好きな人が幸せになってほしいなって思うのは皆そうだと思う。
そうなんだよね。人は応援したい存在とあまり応援したくない存在を頭の中で明確に分けてしまっている。普段は口にしないけど、そういうふうな究極の選択みたいなものを突きつけられたときに本音がボロっとこぼれてしまう。ポロッと、じゃない。ボロっと。それはあんまり美しいものでもない。
でも美しくなかろうが、やっぱり応援したい存在というのは生き様が反映されて魅力をもつ人。これが僧侶とか敬虔なキリスト教信者とか篤志家とか社会貢献が趣味、みたいな人になるとどうぞどうぞ使ってねって優しい判断をするんだろうか。
話は戻るけど、そんな社会において厳しいけど当然っちゃ当然の本音が言葉だけじゃなく態度でも多く登場する。
一方で、それとは相反するような“優しい態度”も登場する。
中でも一番ひっかかったというか、おそらく著者の思いとは違うんだろうなと感じた部分は、リキが代理出産をビジネスとして受けながらも2人の男性と関係を持ったというシーン関連。体内受精を実施するんだけど、その直前に元彼と女性向け風俗の男性セラピストと関係を持って、妊娠した後に子の父親が3人のうち誰か分からないということに。契約書には契約中は誰かと関係を持つなと明記されていたものの、後に悠子が「若い女性のプライベートを縛るのは無理、性欲をセーブさせるなんて無理だしおこがましいこと」みたいにリキを擁護するシーンがある。この問題は代理出産関連の本にも多く書かれていて、代理母は契約中は他の男性と性的な関係を持つな(じゃないとそっちの男の子を妊娠する可能性があるから)と明記された契約書にサインさせられるんだけど、案外守れていないことも。
これの件について、関連本を読んでいるときからモヤモヤがどうしても拭えなくて。お金がないから収入の何倍にもなる代理出産をしようとビジネスとして契約するんだけど、感情面でセーブできなくて誰かと関係を持ったりホルモンバランスの崩れから赤ちゃんを引き渡したくなくなったりすることがあって、それを「責められない」「しょうがないこと」とするのが社会的に正だとされている。でも契約を破る彼女たちの行動にはかなり反対。
代理出産の制度には賛成。それは、どうあがいても普通の仕事では得られない収入を得られるチャンスだから。そのチャンスを彼女たちから奪ったら、平穏な生活やその子どもたちの安定した生活、持ち家を得ることなど彼女たちの幸せな未来を奪うことになるから。だからあくまでひとつのビジネスと割り切っての代理出産はおおいに賛成、という立場であることはずっと変わらない。
高額のギャランティーは命の危険があるから。帝王切開になったら体に傷が残る。通常分娩だとしても肉割れが腹、太ももに発生する(これはただ太っても発生することはあるけど)。マイナートラブルで崩れた体調は元に戻らないかも。脳も萎縮して簡単には戻らない。でも、リスクがなかったら高収入は得られない。資格もお金になるような才能も残念ながらない人が高収入を得るためにはリスクを甘んじるしかない。それはどの社会でも同じだと思う。
ただ、高収入がほしくないのなら普通の仕事をすればよいだけのこと。身分相応という言葉は好きじゃないけど。誰にもチャンスがあって、するしないは本人の勝手。そういうふうに考えている。
あとは大昔から繰り返し展開される“貧しくても幸せに~論”は日本にいたら下限がある程度目に見えるから気づかないかもしれないけど、国外の貧困は日本ではあまりお目にかからないほど悲惨なんだよね。そんな中で一生貧困を我慢するよりは、代理出産やって40倍くらいの年収を手にした方がたとえ死ぬかもしれなくても幸せだと考えるのはめちゃくちゃ普通の思考回路だと思う。あ、あと小説ではリキは経産婦ではないけど、一般的には代理母になれるのは1人以上産んだ人に限られてる。
だからビジネスだとしっかりと割り切ること。仕事だと自分に言い聞かせ、感情を切り離すこと。それがお金をもらってプロとして仕事をする人間の姿じゃないかな、というと厳しく聞こえるかもしれないけど、なんで代理出産だと突然感情面がめちゃくちゃ配慮されて、普通の仕事だと感情を殺するのが普通って分けられてるのかがまず不思議。
そんな考えなので、悠子がリキをかばったのが何か腑に落ちなくて。契約交わしたのだからちゃんとしようよ、と思ったし、リキが得るのは1000万円。たぶん年収300万円に満たない女子が1000万円を得るというのに、いとも簡単にムカついたから約束を破る。でもお金はほしい。焦ってたら依頼主のうちの1人がかばってくれた、と。普通は契約不履行で契約破棄からの全額返還+慰謝料請求されてもおかしくない案件だよね、普通の仕事なら。まあでも小説でそれやっちゃうと非難轟々になるから書かなかったんだとは思うけど、かなりモヤっとした一連の流れだった。
これ以外のシーンでも普通にリキはわがまま。だからわがまま女子を演じるのがピカイチに上手い石橋静河が抜擢されたんだと思うけど。もう読んでる間、完全にリキは石橋静河だった。何度もいうけどキャスティング天才か。
ラストとしては自分的には結構好きな終わり方だった。ネタバレになるから書かないけど。いくらわがままでも感情的だと思っても、なんかあの選択はしっくりくるというか。そうだよねーそうなるよね、と。もちろんビジネスなんだしそこは最後までって思ったけど、そういう厳しい自分の他に「いやでもさ、そういう感情って当たり前じゃん」って思う自分もいて。そういうどうしようもない割り切れない人間の性みたいなものを桐野夏生は描きたかったんだろうなと思った。おもしろかったです。
先日、稲垣吾郎や内田有紀、石橋静河が主演キャストでドラマ化が決定していたのと、代理出産関連で気になっていたのとで読んでみた。ちなみに、このキャストは当て書きしたんかってほどキャラクターにぴったり。当て書きでないとしたらNHKのドラマ担当者ほんとにこの小説が好きなんだろうなあと感じた。
物語は、代理出産関連の問題点をまんべんなく取り入れて物語に仕上げているという感じ。さすがベストセラー作家、めちゃくちゃ読みやすい。小説ってこんなに読みやすかったっけ、と思うほど。読み終えて気付いたんだけど、桐野夏生は結構読んでたみたい。
さて、物語は貧困から代理出産バイトに手を出す29歳の主人公・リキと、エージェントを通して彼女に代理出産を以来するバレエ名家出身である元トップバレエダンサーの草桶基、その妻で人気イラストレーターの悠子の3人を中心とした物語。サブキャラとしては悠子の親友で人気春画アーティストのりりこやりりこの叔父の画家、基の母で元有名プリマドンナ、悠子の腐れ縁の友人や元彼、デリホスで出会ったセラピストなどが登場する。りりこがうざいと思いながらも結構好きだったなー。
キャラが全員クズ、みたいな感想があちこちにあってどんなものかとワクワクしていたんだけど、たしかに人の本音がボロボロ溢れてくる構成になっていたので、ああーなるほどと思いながら本音って本当に残酷だなあと思ったり。
例えば、基の母が資産家出身でかなりの財産を持っているんだけど、孫がどうしてもほしい理由が、悠子の実家の家族である引きこもりの弟その1とか、弟その2の障害を持つ娘のもとにお金を流出させたくないからで、それを基との会話でやんわり話すシーンがあって。表立って口にすると批判されてしまうようなことだけど、誰しも心の奥底にある社会不適合者への意地悪含んだ厳しい目というのが露悪的に書かれていて、でもこれは世間に存在する同じような立場の人からしたら「当たり前じゃん」って同意するようなことなんだろうなと感じた。
例えば自分が基母のような立場だったとしたら。親族にしょうがないとしかいいようがない理由で引きこもりになった人がいて、自分が死んで夫も死んだらその人のところに自分の財産が流れていくとして。優しい人だったら社会不適合者なんだから大変だよね、そうなったらどうぞ使ってね、って思うのかもしれないけど、たしかに私もそうなるなら推しのアーティストのもとに入るように手配しておくかな、とちょっと思ってしまった。本当はどうぞ使ってって思いたいんだけど、なんだろう、自分がどうでもいい存在じゃなくて自分が好きな人が幸せになってほしいなって思うのは皆そうだと思う。
そうなんだよね。人は応援したい存在とあまり応援したくない存在を頭の中で明確に分けてしまっている。普段は口にしないけど、そういうふうな究極の選択みたいなものを突きつけられたときに本音がボロっとこぼれてしまう。ポロッと、じゃない。ボロっと。それはあんまり美しいものでもない。
でも美しくなかろうが、やっぱり応援したい存在というのは生き様が反映されて魅力をもつ人。これが僧侶とか敬虔なキリスト教信者とか篤志家とか社会貢献が趣味、みたいな人になるとどうぞどうぞ使ってねって優しい判断をするんだろうか。
話は戻るけど、そんな社会において厳しいけど当然っちゃ当然の本音が言葉だけじゃなく態度でも多く登場する。
一方で、それとは相反するような“優しい態度”も登場する。
中でも一番ひっかかったというか、おそらく著者の思いとは違うんだろうなと感じた部分は、リキが代理出産をビジネスとして受けながらも2人の男性と関係を持ったというシーン関連。体内受精を実施するんだけど、その直前に元彼と女性向け風俗の男性セラピストと関係を持って、妊娠した後に子の父親が3人のうち誰か分からないということに。契約書には契約中は誰かと関係を持つなと明記されていたものの、後に悠子が「若い女性のプライベートを縛るのは無理、性欲をセーブさせるなんて無理だしおこがましいこと」みたいにリキを擁護するシーンがある。この問題は代理出産関連の本にも多く書かれていて、代理母は契約中は他の男性と性的な関係を持つな(じゃないとそっちの男の子を妊娠する可能性があるから)と明記された契約書にサインさせられるんだけど、案外守れていないことも。
これの件について、関連本を読んでいるときからモヤモヤがどうしても拭えなくて。お金がないから収入の何倍にもなる代理出産をしようとビジネスとして契約するんだけど、感情面でセーブできなくて誰かと関係を持ったりホルモンバランスの崩れから赤ちゃんを引き渡したくなくなったりすることがあって、それを「責められない」「しょうがないこと」とするのが社会的に正だとされている。でも契約を破る彼女たちの行動にはかなり反対。
代理出産の制度には賛成。それは、どうあがいても普通の仕事では得られない収入を得られるチャンスだから。そのチャンスを彼女たちから奪ったら、平穏な生活やその子どもたちの安定した生活、持ち家を得ることなど彼女たちの幸せな未来を奪うことになるから。だからあくまでひとつのビジネスと割り切っての代理出産はおおいに賛成、という立場であることはずっと変わらない。
高額のギャランティーは命の危険があるから。帝王切開になったら体に傷が残る。通常分娩だとしても肉割れが腹、太ももに発生する(これはただ太っても発生することはあるけど)。マイナートラブルで崩れた体調は元に戻らないかも。脳も萎縮して簡単には戻らない。でも、リスクがなかったら高収入は得られない。資格もお金になるような才能も残念ながらない人が高収入を得るためにはリスクを甘んじるしかない。それはどの社会でも同じだと思う。
ただ、高収入がほしくないのなら普通の仕事をすればよいだけのこと。身分相応という言葉は好きじゃないけど。誰にもチャンスがあって、するしないは本人の勝手。そういうふうに考えている。
あとは大昔から繰り返し展開される“貧しくても幸せに~論”は日本にいたら下限がある程度目に見えるから気づかないかもしれないけど、国外の貧困は日本ではあまりお目にかからないほど悲惨なんだよね。そんな中で一生貧困を我慢するよりは、代理出産やって40倍くらいの年収を手にした方がたとえ死ぬかもしれなくても幸せだと考えるのはめちゃくちゃ普通の思考回路だと思う。あ、あと小説ではリキは経産婦ではないけど、一般的には代理母になれるのは1人以上産んだ人に限られてる。
だからビジネスだとしっかりと割り切ること。仕事だと自分に言い聞かせ、感情を切り離すこと。それがお金をもらってプロとして仕事をする人間の姿じゃないかな、というと厳しく聞こえるかもしれないけど、なんで代理出産だと突然感情面がめちゃくちゃ配慮されて、普通の仕事だと感情を殺するのが普通って分けられてるのかがまず不思議。
そんな考えなので、悠子がリキをかばったのが何か腑に落ちなくて。契約交わしたのだからちゃんとしようよ、と思ったし、リキが得るのは1000万円。たぶん年収300万円に満たない女子が1000万円を得るというのに、いとも簡単にムカついたから約束を破る。でもお金はほしい。焦ってたら依頼主のうちの1人がかばってくれた、と。普通は契約不履行で契約破棄からの全額返還+慰謝料請求されてもおかしくない案件だよね、普通の仕事なら。まあでも小説でそれやっちゃうと非難轟々になるから書かなかったんだとは思うけど、かなりモヤっとした一連の流れだった。
これ以外のシーンでも普通にリキはわがまま。だからわがまま女子を演じるのがピカイチに上手い石橋静河が抜擢されたんだと思うけど。もう読んでる間、完全にリキは石橋静河だった。何度もいうけどキャスティング天才か。
ラストとしては自分的には結構好きな終わり方だった。ネタバレになるから書かないけど。いくらわがままでも感情的だと思っても、なんかあの選択はしっくりくるというか。そうだよねーそうなるよね、と。もちろんビジネスなんだしそこは最後までって思ったけど、そういう厳しい自分の他に「いやでもさ、そういう感情って当たり前じゃん」って思う自分もいて。そういうどうしようもない割り切れない人間の性みたいなものを桐野夏生は描きたかったんだろうなと思った。おもしろかったです。