梶本レイカ『コオリオニ』を再読。やっぱり最高。
数年前にSNSでバズったヤクザ系BLノワール。上下巻で主要登場人物への見方ががらりと変わるカラクリがあって、相当おもしろい。つらくて哀しくて切ないのに、人物が全くそんな読者に共感してくれてないところがまたよい。
北海道警察の刑事である鬼戸と、塩部組の組長補佐(上巻では)の八敷の出世と愛憎と幸せに届かない物語。上巻ではロシアンハーフで幼少期から父親に性的虐待を受けて育った八敷が、その美貌に人生を狂わされる様がまるで悲劇のお姫様のように描かれている。そんな彼が幼少期に出会った佐伯とヤクザになる道を選んでのし上がっていき、鬼戸の情報提供者である“エス”となる。
八敷は佐伯を愛していて、彼の目から見た佐伯はサイコパスでとんでもない悪党なんだよね。でも実はこれが完全なブラフで、実は愛する相手以外への人情を持たないサイコパスなのは八敷の方。佐伯もまた彼に人生を狂わされたうちの1人だったというネタバレが上巻の最後で明らかとなり、読み手がかなり驚かされる構成になっている。
キャラとして結構佐伯が好きだったんだけど、それは八敷の目から見た彼だったからで。実際の佐伯は頭脳明晰でもなく力もそれほどない普通の人。ただただ特別な存在だった八敷を守りたい気持ちと強烈な嫉妬と自己憐憫と劣等感がないまぜになっていて、結局ヤク中になって悲惨な末路をたどることに。
八敷はどう考えても傍目には悲惨な人生だけど、それを差し引くほどの美貌と頭脳。そして本人は幼少期の虐待でサイコパスとなったのか、それが引き金となって“開花”しちゃったかはわかんないけど、とにかくどんな境遇でもあんまりこたえてないもよう。だから指でも何でも差し出すし、売れるものは何でも売り飛ばして、他人に恩義も感じない。でも鬼戸のことは大好きだから、そのギャップで物語内の登場人物だけでなく読者も強烈に引きつけている。
そんな八敷と出会ってエスにして、ついでに恋仲にもなっちゃう鬼戸。育ちはちょっと変わっているとはいえ、まあ普通の範疇の育ち方をしてきた鬼戸は、拒否することをせず全て受け入れて流されて生きてきた結果、いい感じの人生を歩んでいることが誇りでもあり恥でもある。たぶんそんな自分を少し妙だと感じていたけど、普通に生きられてるしと思っていたところ、妻が知らぬ間にヤク中になっていて妊婦専門AVの人気キャストになった挙げ句、最後は流産して離婚。
まあそんなことがあっても、自分の遺伝子を引き継いだ人間が生まれなくて良かったとホッとする鬼戸。仕事する中でさくっと何人か殺してるし、それについて罪悪感はゼロだし、自分でも少しずつおかしいと思っていたところ八敷と出会って、自分もサイコパスなんだろうなと気付いてしまう。
この展開が結構おもしろくて。片方がサイコパスっていうのは割とある気がするんだけど、両方サイコパスで片方に気付かされるという展開がまた。でも鬼戸は結局、破滅しか待っていない人生に幕を下ろそうとしたところを見ると、全くその気持ちが理解できない八敷はとんでもない化け物だったんだなあと。
こう、狂おしい感情とか切ない感情とか、沸き起こる感動とか。そういう情動って、たぶん生まれつき備わっているものが成長とともに育っていくはずだと思うんだよね。ある程度は。でも生育過程で虐待とかいじめとかで脳に異常が発生すると、育つはずだったところが育たない。それは自分を守るためで、シャットアウトするというか遮断するというか。悲しみとか辛さとか痛みを自分で意図的に遮断しようと試みるんだろうと思う。被虐待児って。
そして、都合よくそれは辛さだけ、痛みだけ、悲しみだけをシャットアウトできなくて、楽しさや喜びや人の心に寄り添う共感能力とかそういうのも感じられなくなったり鈍感になってしまったりする。八敷の場合は共感能力が著しく欠けているサイコパスに。相手の気持ちを慮らないほうが楽、と思ったわけじゃなくて、最初は痛い辛い悲しいを遮断していただけなんだと思うけど、たぶんそれを感じる脳のエリアに共感能力に関する部分もあったんだろうなと。
と思って調べてみたら、頭部を殴られたりいじめ、虐待、その他強烈な記憶として残るような暴力を受けたときに、善悪に対する感受性に関連した行動を制御している眼窩前頭皮質が損傷するとサイコパスになりやすいとの研究結果があるぽいね。
あーでもこの損傷によりモラルの低下とか攻撃的な人間になるとかは、サイコパス+反社会性パーソナリティ障害なのかな。
サイコパスって別に暴力的攻撃的な人のことじゃなく、著しく共感能力が欠如している人のことなので、他人を傷付けずに生活している彼らはたくさんいる。反社会性パーソナリティ障害とサイコパスが併発したときに暴力的な犯罪者になるけど、サイコパスだけだったら、「他人の情動が全く理解できない」で留まる人はいる。自分をとにかく優先したい(から他人の気持ちが分かりづらいとされている)ASDともちょっと違う。サイコパスは他人の気持ちは分かるんだけど「で、だから何?」という感じ。人が悲しもうが何しようが大切なものがあろうが、金だったり利権だったり自分の欲しいものを得るための行動にためらいがなく罪悪感もない。他人が悲しむだろうことも理解しているけど、そこにシンパシーを抱くこともなく一緒に泣いたりすることもパフォーマンス以外ではない。それが彼ら。
普通に考えたら、一番そばにいて庇護するべき存在の親に虐待されて育ったら「別に他人の気持ちとか考慮しなくてよくない?」って思うようになると思う。そこで「人の痛みが分かる優しい人」になる人はもともと遺伝子的に優しめの性格で、そういうほうがレア。人は他人を利用するのが当たり前だし自分に利益がある存在しか大事にしないし自分の不利益な人間にはたとえ子どもだろうと徹底的に感情をぶつけてサンドバックにしていいと思っている醜い生き物だ、と思って当然だと思う。サイコパスを生むのは毒親だよねえ。
だから『コオリオニ』の梶本先生のサイコパス描写もものすごく上手だと思いました。他の作品も読まなきゃ……。
数年前にSNSでバズったヤクザ系BLノワール。上下巻で主要登場人物への見方ががらりと変わるカラクリがあって、相当おもしろい。つらくて哀しくて切ないのに、人物が全くそんな読者に共感してくれてないところがまたよい。
北海道警察の刑事である鬼戸と、塩部組の組長補佐(上巻では)の八敷の出世と愛憎と幸せに届かない物語。上巻ではロシアンハーフで幼少期から父親に性的虐待を受けて育った八敷が、その美貌に人生を狂わされる様がまるで悲劇のお姫様のように描かれている。そんな彼が幼少期に出会った佐伯とヤクザになる道を選んでのし上がっていき、鬼戸の情報提供者である“エス”となる。
八敷は佐伯を愛していて、彼の目から見た佐伯はサイコパスでとんでもない悪党なんだよね。でも実はこれが完全なブラフで、実は愛する相手以外への人情を持たないサイコパスなのは八敷の方。佐伯もまた彼に人生を狂わされたうちの1人だったというネタバレが上巻の最後で明らかとなり、読み手がかなり驚かされる構成になっている。
キャラとして結構佐伯が好きだったんだけど、それは八敷の目から見た彼だったからで。実際の佐伯は頭脳明晰でもなく力もそれほどない普通の人。ただただ特別な存在だった八敷を守りたい気持ちと強烈な嫉妬と自己憐憫と劣等感がないまぜになっていて、結局ヤク中になって悲惨な末路をたどることに。
八敷はどう考えても傍目には悲惨な人生だけど、それを差し引くほどの美貌と頭脳。そして本人は幼少期の虐待でサイコパスとなったのか、それが引き金となって“開花”しちゃったかはわかんないけど、とにかくどんな境遇でもあんまりこたえてないもよう。だから指でも何でも差し出すし、売れるものは何でも売り飛ばして、他人に恩義も感じない。でも鬼戸のことは大好きだから、そのギャップで物語内の登場人物だけでなく読者も強烈に引きつけている。
そんな八敷と出会ってエスにして、ついでに恋仲にもなっちゃう鬼戸。育ちはちょっと変わっているとはいえ、まあ普通の範疇の育ち方をしてきた鬼戸は、拒否することをせず全て受け入れて流されて生きてきた結果、いい感じの人生を歩んでいることが誇りでもあり恥でもある。たぶんそんな自分を少し妙だと感じていたけど、普通に生きられてるしと思っていたところ、妻が知らぬ間にヤク中になっていて妊婦専門AVの人気キャストになった挙げ句、最後は流産して離婚。
まあそんなことがあっても、自分の遺伝子を引き継いだ人間が生まれなくて良かったとホッとする鬼戸。仕事する中でさくっと何人か殺してるし、それについて罪悪感はゼロだし、自分でも少しずつおかしいと思っていたところ八敷と出会って、自分もサイコパスなんだろうなと気付いてしまう。
この展開が結構おもしろくて。片方がサイコパスっていうのは割とある気がするんだけど、両方サイコパスで片方に気付かされるという展開がまた。でも鬼戸は結局、破滅しか待っていない人生に幕を下ろそうとしたところを見ると、全くその気持ちが理解できない八敷はとんでもない化け物だったんだなあと。
こう、狂おしい感情とか切ない感情とか、沸き起こる感動とか。そういう情動って、たぶん生まれつき備わっているものが成長とともに育っていくはずだと思うんだよね。ある程度は。でも生育過程で虐待とかいじめとかで脳に異常が発生すると、育つはずだったところが育たない。それは自分を守るためで、シャットアウトするというか遮断するというか。悲しみとか辛さとか痛みを自分で意図的に遮断しようと試みるんだろうと思う。被虐待児って。
そして、都合よくそれは辛さだけ、痛みだけ、悲しみだけをシャットアウトできなくて、楽しさや喜びや人の心に寄り添う共感能力とかそういうのも感じられなくなったり鈍感になってしまったりする。八敷の場合は共感能力が著しく欠けているサイコパスに。相手の気持ちを慮らないほうが楽、と思ったわけじゃなくて、最初は痛い辛い悲しいを遮断していただけなんだと思うけど、たぶんそれを感じる脳のエリアに共感能力に関する部分もあったんだろうなと。
と思って調べてみたら、頭部を殴られたりいじめ、虐待、その他強烈な記憶として残るような暴力を受けたときに、善悪に対する感受性に関連した行動を制御している眼窩前頭皮質が損傷するとサイコパスになりやすいとの研究結果があるぽいね。
あーでもこの損傷によりモラルの低下とか攻撃的な人間になるとかは、サイコパス+反社会性パーソナリティ障害なのかな。
サイコパスって別に暴力的攻撃的な人のことじゃなく、著しく共感能力が欠如している人のことなので、他人を傷付けずに生活している彼らはたくさんいる。反社会性パーソナリティ障害とサイコパスが併発したときに暴力的な犯罪者になるけど、サイコパスだけだったら、「他人の情動が全く理解できない」で留まる人はいる。自分をとにかく優先したい(から他人の気持ちが分かりづらいとされている)ASDともちょっと違う。サイコパスは他人の気持ちは分かるんだけど「で、だから何?」という感じ。人が悲しもうが何しようが大切なものがあろうが、金だったり利権だったり自分の欲しいものを得るための行動にためらいがなく罪悪感もない。他人が悲しむだろうことも理解しているけど、そこにシンパシーを抱くこともなく一緒に泣いたりすることもパフォーマンス以外ではない。それが彼ら。
普通に考えたら、一番そばにいて庇護するべき存在の親に虐待されて育ったら「別に他人の気持ちとか考慮しなくてよくない?」って思うようになると思う。そこで「人の痛みが分かる優しい人」になる人はもともと遺伝子的に優しめの性格で、そういうほうがレア。人は他人を利用するのが当たり前だし自分に利益がある存在しか大事にしないし自分の不利益な人間にはたとえ子どもだろうと徹底的に感情をぶつけてサンドバックにしていいと思っている醜い生き物だ、と思って当然だと思う。サイコパスを生むのは毒親だよねえ。
だから『コオリオニ』の梶本先生のサイコパス描写もものすごく上手だと思いました。他の作品も読まなきゃ……。