映画「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」は9月公開とのことで。特報も最高のスピード感、高ぶります。なんか監督が夜からインスタライブで考察するらしく。楽しみだ。
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「映画:フィッシュマンズ」を見る。
99年に亡くなった佐藤伸治のリアルな姿がたくさん収録されていて切ないような悲しいような、でもほっとしたような気持ちになる。まるでフィッシュマンズの曲を聞いたときのような感じ。
彼の死因は前年にhideが亡くなって多くの後追い自殺が発生したこともあり、その死因が伏せられていた。インフルエンザをこじらせたとかドラッグで衝動的に飛び降りたとか色々憶測があったけど、ファンの間では何となく自殺だと感づいているような雰囲気がずっと漂っていた。
でもこの映画で確信した人も多いのでは。茂木欣一の言葉とか結果的に最後となったライブでの彼の雰囲気や言葉とか、彼の普段の姿とか。体幹が柔らかすぎるのか不安定なのかグニャグニャしているのはドラッグのせいだとかいわれていたけど、たぶんそうじゃないよねえ。お薬大好きっ子がなまじ周りにたくさんいたのでアッパー/ダウナー/ぎり合法の愛用者の雰囲気、仕草、発声とかと比べると違うんだろうなあと。ナチュラルでああいう動きというか仕草というか、独特な感じがある人は結構いる。年中風邪引いてるみたいだったてのも、まあ関係しているのかな。その柔軟さがあの生み出された曲だったしファンを心酔させるような歌声だったし雰囲気や取り巻く世界観だった。
ただ、恋人ができて幸せになって「いかれたBABY」が生み出されたこととか、ラストライブでメンバーがどんどん抜けちゃってストレートに悲しさをあらわにする姿とか見ると、カリスマとなった彼の存在だけが切り離されてどんどん高みにのせられて崇め祀られてしまったようになり、リアルの“寂しがり屋で子どもみたいな彼”が置き去りにされていったんだろうなと思う。恋人ができてハッピーでうれしくて思わず作った曲がヒットして、っていうのやメンバーがどんどん抜けて寂しいってのは、アンニュイで厭世しながらも大衆を鼻で笑いながらゆっくりとでも確実に突き進んでいくような、いわゆる天才気質のサイコパスに傾倒しがちな雰囲気とは合致しない。だから今いわれている彼のカリスマだとか孤高の天才だとかいう雰囲気はファンが作り上げた偶像である気がしてならない。実像と偶像の解離が彼を死に向かわせたのではないか。でも悲しきかな、それがまた素晴らしい音楽を生み出したことは間違いなく、ミュージシャンの宿命であった気はする。
あとはまあ、自殺よりも風邪をこじらせたとかドラッグでパニックとなって……みたいな方が格好いいと思ってる人は少なからずいると思う。というか自殺は格好悪いとか、置いていかれた感じがするとか、ファンに失礼とか思ってるのだろうなと思う。彼らを見ると。でも、その人が思い悩んで選んだ選択肢なんだよそれは。もうどうしようもなくて解放されたくて選んだ道なんだよね。だから変に隠したり親族の結婚に響くとか、そういう風潮こそなくなればいいのにと思う。だってこの世ってそんなに皆が幸せになるようにできていないのだから。無理はものは無理。一部のラッキーだった人だけが幸せに生きている世界なんだから。考え方を変えろとか絶望の中で諦めて受け入れて身の丈にあった生活をしろとか、ものすごく図々しいことをよく他人に言えるなあと思うことが多い。苦しいだろうけど自殺は絶対にダメだからってさらに人を追い詰める人間の多いこと。
人が選んだ道を静かに受け止め納得することが弔いだよ。何人も見送ったので、そう思うことが自然で変に悔やんだりするのはまずフェアじゃないんだよね。
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「映画:フィッシュマンズ」を見る。
99年に亡くなった佐藤伸治のリアルな姿がたくさん収録されていて切ないような悲しいような、でもほっとしたような気持ちになる。まるでフィッシュマンズの曲を聞いたときのような感じ。
彼の死因は前年にhideが亡くなって多くの後追い自殺が発生したこともあり、その死因が伏せられていた。インフルエンザをこじらせたとかドラッグで衝動的に飛び降りたとか色々憶測があったけど、ファンの間では何となく自殺だと感づいているような雰囲気がずっと漂っていた。
でもこの映画で確信した人も多いのでは。茂木欣一の言葉とか結果的に最後となったライブでの彼の雰囲気や言葉とか、彼の普段の姿とか。体幹が柔らかすぎるのか不安定なのかグニャグニャしているのはドラッグのせいだとかいわれていたけど、たぶんそうじゃないよねえ。お薬大好きっ子がなまじ周りにたくさんいたのでアッパー/ダウナー/ぎり合法の愛用者の雰囲気、仕草、発声とかと比べると違うんだろうなあと。ナチュラルでああいう動きというか仕草というか、独特な感じがある人は結構いる。年中風邪引いてるみたいだったてのも、まあ関係しているのかな。その柔軟さがあの生み出された曲だったしファンを心酔させるような歌声だったし雰囲気や取り巻く世界観だった。
ただ、恋人ができて幸せになって「いかれたBABY」が生み出されたこととか、ラストライブでメンバーがどんどん抜けちゃってストレートに悲しさをあらわにする姿とか見ると、カリスマとなった彼の存在だけが切り離されてどんどん高みにのせられて崇め祀られてしまったようになり、リアルの“寂しがり屋で子どもみたいな彼”が置き去りにされていったんだろうなと思う。恋人ができてハッピーでうれしくて思わず作った曲がヒットして、っていうのやメンバーがどんどん抜けて寂しいってのは、アンニュイで厭世しながらも大衆を鼻で笑いながらゆっくりとでも確実に突き進んでいくような、いわゆる天才気質のサイコパスに傾倒しがちな雰囲気とは合致しない。だから今いわれている彼のカリスマだとか孤高の天才だとかいう雰囲気はファンが作り上げた偶像である気がしてならない。実像と偶像の解離が彼を死に向かわせたのではないか。でも悲しきかな、それがまた素晴らしい音楽を生み出したことは間違いなく、ミュージシャンの宿命であった気はする。
あとはまあ、自殺よりも風邪をこじらせたとかドラッグでパニックとなって……みたいな方が格好いいと思ってる人は少なからずいると思う。というか自殺は格好悪いとか、置いていかれた感じがするとか、ファンに失礼とか思ってるのだろうなと思う。彼らを見ると。でも、その人が思い悩んで選んだ選択肢なんだよそれは。もうどうしようもなくて解放されたくて選んだ道なんだよね。だから変に隠したり親族の結婚に響くとか、そういう風潮こそなくなればいいのにと思う。だってこの世ってそんなに皆が幸せになるようにできていないのだから。無理はものは無理。一部のラッキーだった人だけが幸せに生きている世界なんだから。考え方を変えろとか絶望の中で諦めて受け入れて身の丈にあった生活をしろとか、ものすごく図々しいことをよく他人に言えるなあと思うことが多い。苦しいだろうけど自殺は絶対にダメだからってさらに人を追い詰める人間の多いこと。
人が選んだ道を静かに受け止め納得することが弔いだよ。何人も見送ったので、そう思うことが自然で変に悔やんだりするのはまずフェアじゃないんだよね。