安楽死についていろんな考えがひしめき合っているので、実例をいくつかドキュメンタリーで見てみた。
まずNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」。
u-nextで有料で見られます。これは多系統萎縮症を発症した51歳(52歳?)の女性のドキュメンタリー。ソウル大学に留学して翻訳や通訳の仕事をされていた。
そしてTBSが動画で配信している「スイスで最期を迎えた日本人」。これは64歳のパーキンソン病の女性。この方も海外で活躍されていて、数年前にフランス人男性と婚約したもののパーキンソン病発症で婚約破棄に。母親を介護後に看取り、スイスで安楽死することに。
動画後半には逆にALSを発症しながらも生きる選択をした男性が登場する。
まず安楽死を選択した女性たちの特徴は皆、美人(若いときや現在)で経歴も華やか。病を発症するまでは人が羨む人生を送ってきたことがドキュメンタリーの内容から容易に想像できる。
しかし進行性の病により、それまでの人生では想像もしなかった日常を送ることに。その落差たるや想像を絶するものだったと思う。それこそ、平凡以下の人生を送ってきた人に比べて凄まじい苦しみがあったと思う。
人はみじめには生きたくない。人の手を借りても生きた方がいいというのは、みじめだろうがつらかろうがとにかく生きることが最優先の人の主張であり、華やかに生きてきた人たちはみじめには生きていきたくないのだろうと思う。それが想像できない人があまりに多いと感じた。
そもそもその状態をみじめだと感じるか感じないかという違いもあると思う。個人の捉え方の違いなのでどちらが良いか悪いかはない。100%人の手を借りていきることはみじめではない、と思うのならそれが正しいと思うし、思えないと思うならまたその人にとってそれが真実である。
彼女たちは自分が自分でなくなってまで生きていたくなかった。ただ、それだけ。どうしてそれを批判したり悪だと決めつけたりするんだろう。家族がいるとか子どもがいるとか、じゃあその家族が何割か心身の苦痛を請け負ってくれるんだろうか。
あと、安楽死が合法となったら介護する側に忖度して死を選ぶ人が出てくることを懸念して……っていう話もあったけど、その思いは家族への愛情からでは? 自分だったら大事な家族を苦しめるようなことはしたくない。そう思って選択することがなぜ悪いのか全く分からない。家族が介護して当たり前、介護してこそ愛みたいなペラペラな思想こそが地獄につながると思うのだけど。介護するなって話ではなく、介護する余力のない人はいるよ。体力も気力も精神力も人それぞれ。無理なものは無理。そこを命を振りかざして面倒みろって迫る感情とは。家族が超元気でぜひに、っていうことなら甘えたらいいけど、生きるだけでギリギリな人に負担をかけることが果たして愛なのか。病気も何もなくても、ただ朝起きて仕事して食事して風呂入って寝る、っていう日常を普通にこなすだけでギリギリの人は想像以上にたくさんいる。というか普通の生活できてない人がめちゃくちゃいるのに。したくてそうしてるんじゃないよ、できないからだよ。
何が何でも生きなければならなくて最期は苦しみ抜いて頑張らなきゃいけないなんて地獄だね。
動画でも頑張ったね、とか頑張ってくれた、とかいう言葉が結構出てきたけど、それについては違和感しかなかった。なぜ病気になって頑張らなきゃならないのか。本当に不思議。
亡くなった3人のの選択は正しい。なぜなら自分の命の最後を決めるのは自分だから。他人がどうこう口を出してはならない。3人とも最後幸せそうだった。ほっとした感じにも見えた。
そういやどれかの動画で日本では少しずつ消極的安楽死は実施されつつあるって説明があったけど本当……? それすら実現されてないから社会問題になっているのでは、と思ったけど現場ではもう既にされつつあるから安楽死について話題にのぼるようになったのかな。だとしたらいい傾向だと思う。
安楽死については宮下洋一『安楽死を遂げた日本人』も有名なので、これもいずれ。
まずNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」。
u-nextで有料で見られます。これは多系統萎縮症を発症した51歳(52歳?)の女性のドキュメンタリー。ソウル大学に留学して翻訳や通訳の仕事をされていた。
そしてTBSが動画で配信している「スイスで最期を迎えた日本人」。これは64歳のパーキンソン病の女性。この方も海外で活躍されていて、数年前にフランス人男性と婚約したもののパーキンソン病発症で婚約破棄に。母親を介護後に看取り、スイスで安楽死することに。
動画後半には逆にALSを発症しながらも生きる選択をした男性が登場する。
まず安楽死を選択した女性たちの特徴は皆、美人(若いときや現在)で経歴も華やか。病を発症するまでは人が羨む人生を送ってきたことがドキュメンタリーの内容から容易に想像できる。
しかし進行性の病により、それまでの人生では想像もしなかった日常を送ることに。その落差たるや想像を絶するものだったと思う。それこそ、平凡以下の人生を送ってきた人に比べて凄まじい苦しみがあったと思う。
人はみじめには生きたくない。人の手を借りても生きた方がいいというのは、みじめだろうがつらかろうがとにかく生きることが最優先の人の主張であり、華やかに生きてきた人たちはみじめには生きていきたくないのだろうと思う。それが想像できない人があまりに多いと感じた。
そもそもその状態をみじめだと感じるか感じないかという違いもあると思う。個人の捉え方の違いなのでどちらが良いか悪いかはない。100%人の手を借りていきることはみじめではない、と思うのならそれが正しいと思うし、思えないと思うならまたその人にとってそれが真実である。
彼女たちは自分が自分でなくなってまで生きていたくなかった。ただ、それだけ。どうしてそれを批判したり悪だと決めつけたりするんだろう。家族がいるとか子どもがいるとか、じゃあその家族が何割か心身の苦痛を請け負ってくれるんだろうか。
あと、安楽死が合法となったら介護する側に忖度して死を選ぶ人が出てくることを懸念して……っていう話もあったけど、その思いは家族への愛情からでは? 自分だったら大事な家族を苦しめるようなことはしたくない。そう思って選択することがなぜ悪いのか全く分からない。家族が介護して当たり前、介護してこそ愛みたいなペラペラな思想こそが地獄につながると思うのだけど。介護するなって話ではなく、介護する余力のない人はいるよ。体力も気力も精神力も人それぞれ。無理なものは無理。そこを命を振りかざして面倒みろって迫る感情とは。家族が超元気でぜひに、っていうことなら甘えたらいいけど、生きるだけでギリギリな人に負担をかけることが果たして愛なのか。病気も何もなくても、ただ朝起きて仕事して食事して風呂入って寝る、っていう日常を普通にこなすだけでギリギリの人は想像以上にたくさんいる。というか普通の生活できてない人がめちゃくちゃいるのに。したくてそうしてるんじゃないよ、できないからだよ。
何が何でも生きなければならなくて最期は苦しみ抜いて頑張らなきゃいけないなんて地獄だね。
動画でも頑張ったね、とか頑張ってくれた、とかいう言葉が結構出てきたけど、それについては違和感しかなかった。なぜ病気になって頑張らなきゃならないのか。本当に不思議。
亡くなった3人のの選択は正しい。なぜなら自分の命の最後を決めるのは自分だから。他人がどうこう口を出してはならない。3人とも最後幸せそうだった。ほっとした感じにも見えた。
そういやどれかの動画で日本では少しずつ消極的安楽死は実施されつつあるって説明があったけど本当……? それすら実現されてないから社会問題になっているのでは、と思ったけど現場ではもう既にされつつあるから安楽死について話題にのぼるようになったのかな。だとしたらいい傾向だと思う。
安楽死については宮下洋一『安楽死を遂げた日本人』も有名なので、これもいずれ。