吉本ばなな『幸せへのセンサー』を読む。




近年の吉本ばななはスピリチュアルでちょっと……なんて酷い言いようでタイミングの良さがあたかも偶然だと信じて疑わない層から嘲笑されてきたという経緯がある。彼女が信じるものをすべて支持はできないものの、言いたいことは長年生きてきたら「まあそうだよね」と思うことばかりで、そうすることによってああなったという物事の流れみたいなことと、それを察知する能力の大切さについて繰り返しつづられている。

割と、どの本にも。

いきすぎたことや欲をはりすぎたことは生きていく上でバランスに狂いが生じるからよくない。流れにうまく身をまかせながら、迫りくる宿命が半分、自分で能動的に行うことが半分くらいで均衡がとれる、とかそういう。突き詰めたらそうだったということは、早い人だと30歳超えたら何となく気づき始める。

もっと噛み砕くと、自然か不自然か。何か変じゃないか。それおかしいよ? と思わないことなのか。不自然なことはやっぱりこのバランスが崩れていて、たとえ支持者が多くてもいろんな人が納得したフリをしていても、いつか破滅してしまう。芸能人とか著名人は分かりやすいよね。ああこの人すごく無理してるなとか、ひどいことをしているのに信者に守られているなとか思っていたら、近いうちに事件とか自己とか不祥事で見なくなってしまう。

そのバランスは何も公人だけじゃなく一般人にも大事なことで、鈍感な人はこのセンサーがあまりうまく作動していなかったり何かしらが原因して壊れていたりして、自分に全く非がないことで不幸になったと悲嘆にくれている。でも実際はめぐりめぐってそうなっているので、起こったことは良いことも悪いこともすべての結果でしかない。鈍いと、それが偶然とか突発的だと感じてしまって怒りが沸く。引き寄せという言葉はかなり嫌いなんだけど、自分が引き寄せたというよりも、自分が選んだごくごく小さいことの積み重ねで引き起こされている、という感じかな。

ただこれに生まれ持った運が関わってくるので、もっと複雑ではある。運は代々受け継がれる遺伝的なものに加えて、後天的なものもあるけど(これについては運気上昇系の本がたくさん出てるね)、前者の方が強力なんだよね。まあそれはについてはいずれ。

本作では、そういうセンサーの大事さについて丁寧に淡々と書かれている。ただし、企画者の意図と吉本側の意図が若干ずれていたそうで、本当に書きたいことはすべて書けなかったとあとがきにあった。

え、すごくいい本なのに、と思ったんだけどな。

吉本ばななはお勧めする書籍や影響を受け本もかなりおもしろくて、それは彼女の小説とは全く違うテイストだったりする。でもエッセイを読むとなんとなくああそうだなという雰囲気はある。

だから100%書きたいものを書かれたとき、どういう雰囲気いなるのか興味があるのだけど、どこかの出版社が企画しないのかなと密かに楽しみ。