『「子供を殺してください」という親たち』が8巻までKindle Unlimitedになっていたので読んだ。
これは精神障害者移送サービスの事業を手掛けている押川剛氏が書いた同名のノンフィクションが原作。さまざまな事情から引きこもりとなった子供たちを親や親族の依頼により行政や病院とつなげる仕事を現場からレポしている。
日本では、おそらく今後も引きこもりは増えると予想されている。その原因は一度つまづいたら再起が難しい社会構造にあるし、子育てがちゃんとできない親や標準に達していない知能、発達障害、精神障害などの問題も絡んでくる。
こういう問題にぶち当たりそうな家庭がある。引きこもり当事者は発達障害者や境界知能、精神障害者で、あるときまではスムーズにないにせよ人とあまり変わらない人生を送っていた。でも、就職や進学、結婚、子育てのように個人に責任がのしかかってくる問題と対峙したとき、クリアできる能力を持ち合わせていない。そして周りもうまくフォローができない。本人が暴れるからだんだん腫れ物に触るよう周りが接するようになる。ある程度お金があったり持ち家があったりして本人が引きこもれる環境が整いすぎていたりするので、もともと頑張れない素質も助けてしまい泥沼へ。
当人に問題があると家族も生きづらさを抱えている場合は多い。高齢者は未診断であることが多いし、特に精神障害者への差別が厳しい時代を生きてきた人たちなので必死で受診を避けようとする。もちろん認めることなんて絶対にしない。でも見る人が見たら一目でそうだと分かるレベルの人は多い。
国はもう何十年も前からいっぱいいっぱいで、だから知的障害者の水準を下げてしまったのだし、それによってあぶれて支援を受けられない境界知能の人たちがとても困っている。彼らは診断としては健常者になるが、とてもじゃない、一般的な生活は送れていない。
精神障害を悪化させて自死した人の葬式では、家族が泣きながらもどこかほっとした表情をしているのがいつも目に焼き付いてしまう。自傷行為や自殺未遂を繰り返して、行方不明になって、部屋に引きこもって何日も風呂に入っていなくて、外に出たら問題を起こす、自宅に火をつける……。そういう人が家族に一人でもいたら、他の人は幸せには暮らせない。
でもこの残酷な事実は現実では口にしてはいけないことになっている。家族は何があっても支えるのが当然だから、と蚊帳の外の人たちが眉を釣り上げてポリコレ棒を振り回している。
本作を読んで、まあそう思って当然だよね、というのが大半の人の本音ではないか。誰だって幸せに暮らしたいのだから。他人だったら絶対に関わりたくないような人が、家族だからという理由で家の中にいるのは地獄だ。
ただ、当事者の目線になると親に虐待された、他人にいじめられた、うまく生きられないせいで仕事にも就けない、などの悲惨な現実を生きているわけで、想像すると胸が苦しくなりそうだ。たぶん努力しようとすると様々な要因が邪魔をしてそれすら困難なのだろう。日本人は勤勉で堅実的で努力家の人がかなり多い民族なので、それが当たり前の中で努力できない人々は浮いてしまう。彼らは努力しようとすると体調を崩してしまうし集中はできないし強烈なストレスを感じるため、しなくなるのだ。自分を守るために。それが、健全な人たちには甘えや怠惰に見える。ちゃんと自分の特性を伝える言葉をもたない人は多く、もしいたとしてもそれは詭弁だと取られてしまうだろう。
だからどっちもどっちだなと思った。想像力から他人の苦痛を理解できるのは、限られた人しかいない。他人を理解できない、しようとしない人がスルーした彼らがいずれ犯罪に手を染めることもあるだろう。その被害者になることだってありうるのだ。その可能性は未来にいくにつれ高くなっていく。
できる努力をせず結果的に引きこもりとなった人については置いておいて、努力がどうしてもできず困り果てた結果、本作のようになった人には、誰かが手を差し伸べるチャンスがあってもいいのではないか。
それから、このシリーズはこれから子を持つ人全員にぜひ読んでほしいと感じた。自分の子どもがこうならないと高をくくっている人ほど地雷を踏み抜く。自分がそうなる可能性がないと頑なに信じて疑わない人ほど可能性はあると思っておいたほうがいい。
あと、本作の当事者は男性が多い。受刑者の数も9割が男性である。だからといって全体からすると受刑者の数はわずかなので、ほんの少しの傾向にしか過ぎないけれど、性の特性上どうしてもそうなってしまう。最近は産み分けのゼリーも売られているから、もしかすると近い未来、女性の数が男性よりもはるかに多くなる未来もやってくるかもしれない。これまで女性にはさまざまな分野において選択肢が与えられていなかったけど、近年ようやく主張できるようになった。とはいえ男の子がかわいくてどうしてもという母親は多いだろうから、そうでもないのかな。授かりもの、という言葉には昔から違和感しかないので、これからは自分が育てたい性を選べる時代になったらよいなと思う。
これは精神障害者移送サービスの事業を手掛けている押川剛氏が書いた同名のノンフィクションが原作。さまざまな事情から引きこもりとなった子供たちを親や親族の依頼により行政や病院とつなげる仕事を現場からレポしている。
日本では、おそらく今後も引きこもりは増えると予想されている。その原因は一度つまづいたら再起が難しい社会構造にあるし、子育てがちゃんとできない親や標準に達していない知能、発達障害、精神障害などの問題も絡んでくる。
こういう問題にぶち当たりそうな家庭がある。引きこもり当事者は発達障害者や境界知能、精神障害者で、あるときまではスムーズにないにせよ人とあまり変わらない人生を送っていた。でも、就職や進学、結婚、子育てのように個人に責任がのしかかってくる問題と対峙したとき、クリアできる能力を持ち合わせていない。そして周りもうまくフォローができない。本人が暴れるからだんだん腫れ物に触るよう周りが接するようになる。ある程度お金があったり持ち家があったりして本人が引きこもれる環境が整いすぎていたりするので、もともと頑張れない素質も助けてしまい泥沼へ。
当人に問題があると家族も生きづらさを抱えている場合は多い。高齢者は未診断であることが多いし、特に精神障害者への差別が厳しい時代を生きてきた人たちなので必死で受診を避けようとする。もちろん認めることなんて絶対にしない。でも見る人が見たら一目でそうだと分かるレベルの人は多い。
国はもう何十年も前からいっぱいいっぱいで、だから知的障害者の水準を下げてしまったのだし、それによってあぶれて支援を受けられない境界知能の人たちがとても困っている。彼らは診断としては健常者になるが、とてもじゃない、一般的な生活は送れていない。
精神障害を悪化させて自死した人の葬式では、家族が泣きながらもどこかほっとした表情をしているのがいつも目に焼き付いてしまう。自傷行為や自殺未遂を繰り返して、行方不明になって、部屋に引きこもって何日も風呂に入っていなくて、外に出たら問題を起こす、自宅に火をつける……。そういう人が家族に一人でもいたら、他の人は幸せには暮らせない。
でもこの残酷な事実は現実では口にしてはいけないことになっている。家族は何があっても支えるのが当然だから、と蚊帳の外の人たちが眉を釣り上げてポリコレ棒を振り回している。
本作を読んで、まあそう思って当然だよね、というのが大半の人の本音ではないか。誰だって幸せに暮らしたいのだから。他人だったら絶対に関わりたくないような人が、家族だからという理由で家の中にいるのは地獄だ。
ただ、当事者の目線になると親に虐待された、他人にいじめられた、うまく生きられないせいで仕事にも就けない、などの悲惨な現実を生きているわけで、想像すると胸が苦しくなりそうだ。たぶん努力しようとすると様々な要因が邪魔をしてそれすら困難なのだろう。日本人は勤勉で堅実的で努力家の人がかなり多い民族なので、それが当たり前の中で努力できない人々は浮いてしまう。彼らは努力しようとすると体調を崩してしまうし集中はできないし強烈なストレスを感じるため、しなくなるのだ。自分を守るために。それが、健全な人たちには甘えや怠惰に見える。ちゃんと自分の特性を伝える言葉をもたない人は多く、もしいたとしてもそれは詭弁だと取られてしまうだろう。
だからどっちもどっちだなと思った。想像力から他人の苦痛を理解できるのは、限られた人しかいない。他人を理解できない、しようとしない人がスルーした彼らがいずれ犯罪に手を染めることもあるだろう。その被害者になることだってありうるのだ。その可能性は未来にいくにつれ高くなっていく。
できる努力をせず結果的に引きこもりとなった人については置いておいて、努力がどうしてもできず困り果てた結果、本作のようになった人には、誰かが手を差し伸べるチャンスがあってもいいのではないか。
それから、このシリーズはこれから子を持つ人全員にぜひ読んでほしいと感じた。自分の子どもがこうならないと高をくくっている人ほど地雷を踏み抜く。自分がそうなる可能性がないと頑なに信じて疑わない人ほど可能性はあると思っておいたほうがいい。
あと、本作の当事者は男性が多い。受刑者の数も9割が男性である。だからといって全体からすると受刑者の数はわずかなので、ほんの少しの傾向にしか過ぎないけれど、性の特性上どうしてもそうなってしまう。最近は産み分けのゼリーも売られているから、もしかすると近い未来、女性の数が男性よりもはるかに多くなる未来もやってくるかもしれない。これまで女性にはさまざまな分野において選択肢が与えられていなかったけど、近年ようやく主張できるようになった。とはいえ男の子がかわいくてどうしてもという母親は多いだろうから、そうでもないのかな。授かりもの、という言葉には昔から違和感しかないので、これからは自分が育てたい性を選べる時代になったらよいなと思う。