不気味で最高だと話題だったアニメーション映画「オオカミの家」を見た。チリ製。クリストバル・レオンとホアキン・コーニャが監督。冒頭14分にはアリ・アスターの「骨」が上映。両作品ともスクリーンで見れてよかった。大迫力で頭が完全にもっていかれそうになった。素面で見てたんだけど。
「オオカミの家」はドイツ移民がつくりあげたチリの入植地であるコロニア・ディグニタがモデル。悪名高きパウル・シーファーが指導者で、拷問や性的虐待、殺人、死体遺棄などがチリ政府と結託して行われていたカルト団体。2005年にシーファーが逮捕されるが、現在もまだ団体としてビージャ・バビエラとしてレストランなどが運営されている。
「オオカミの家」はシーファーがコロニアのPR動画として作ったという体のファウンド・フッテージ。でもどう見てもPRになってないよねという突っ込みどころ満載。とにかくアニメーションが不気味でおどろおどろしいが、色彩やペイントや立体のアニメーションの核となる造形がどこかオシャレでかわいらしさもある。
コロニア=オオカミの家を逃げ出したマリアがオオカミ=シーファーの手を逃れながら新しい家で暮らし始めるが、そこで今度は自分が支配する側になり、出会った2匹の豚・ペドロとアナ=支配する相手との奇妙な関係を築いていく。
幻想的でまるで悪夢を見ているかのような映像が延々と続き、時折挿入されるオオカミの囁きや恐怖を煽るような音響でバッドトリップしそうだった。というかガチで2度ほど冷や汗と吐き気がこみ上げて(そういうシーンでもないのに)退席しそうになったが、我慢して見たかいがあったほど良かった。
支配される人に「逃げればいいじゃん」と簡単に言う人がいるけど、いやいやそんな簡単なことじゃないよ精神的にも洗脳されていたら、ということがよくわかる作品。
「骨」の方もファウンドフッテージで、人骨が使われた世界初のアニメーションという設定。実在したチリの政治家を風刺した作品で、その人物が3人の子どもを産ませた女性が主人公。人間の偽物の死体を使ってアニメーションを組み立てていく。かわいらしくて不気味で、どこか物哀しげな14分だった。
*
植本一子『愛は時間がかかる』を読み終える。トラウマ治療の記録。たしかに前3作と比べると彼女の内面の激しい感情などがあまり描かれておらず、それを期待して読むと物足りなさを感じる人もいるかもしれない。でもトラウマと向き合った治療の記録であり、その感情の変遷についてはとても丁寧につづられていて興味深い。
絶縁していた母親との関係も電話で会話できるまでに修復。というか修復しなくてもしてもいいと思うけど彼女がそれを選んだ、という事実がとても大事で、それを嘘偽りなくつづっていることに注目したい。
毒親問題は根深くて、親への愛情と相反する深い憎悪が子どもたちに罪悪感をもたせる。親もそれに加担する。世間は親を許すべきだと責めた立てる。なぜなら育ててもらったでしょう、お金を出してもらったでしょう、と。でも、親は親の都合で子どもをつくっており、この国では子を育てることは義務だ。それを理解できておらず恩着せがましく振る舞う人間はとても醜い。その醜さが子どもたちを蝕む。子どもに恩を返してほしい人は親になってはいけない、と誰か教えてあげてほしい。毒親予備軍だから。でもさまざまな事情でそれを理解できない人もいる。そして世間は子育ては大変だからと親の味方をする。その結果がこの少子化の時代だ。でも、子を持たない人たちが増えてようやく、親に心理虐待され続けてきた人たちの声が殺されることなくすくい上げてもらえるようになった。皮肉だな。
植本一子には搾取されないよう生きていってほしい。おそらく母親は変わらない。彼女が切望する愛も完全体では手に入らないと思う。でも適度な距離感を見つけられたら、それが彼女の正解だと思う。
*
映画『欲望という名の電車』も見終わって原作もちらっと見てみた。2024年の上演予定の公式サイトができていた。これだとスタンリーがブランチを後ろからバッグハグしていて2人の不倫もののように見えるけど、新解釈なのかな。だとしたらより見てみたい。原作は名作だが、時代錯誤な価値観がまん延していて見ていて読んでいてつらさがある。
ブランチは夫の死後、治安が悪いホテルで売春を繰り返したあげく17歳の未成年に手を出してしまう。これが原因して町を追われ、妹ステラのもとに。そこでステラの夫であるスタンリーとたびたび衝突。結局ステラが出産のため家を空けていた日にスタンリーからレイプされてしまことがぼやっと描かれている。精神を病みつつあったブランチはこれが決定打となり、幻想と現実がよく分からないまま精神病院に連れて行かれる。
会話から人物の感情を読み取るのがなかなか難しいのは現代と価値観が全く違うからか。はたまた、現代の小説なり映画はかなり親切だからなのか。スタンリーが劣情をもよおしたシーンは結構唐突に見えたし、もうちょっと前に何かあればより没頭できたのになと感じた。
あーでもそのあたりの感情の深い部分については行動と言動から読み取ってね、っていうのが古典の美徳か。だとしてもスタンリーとブランチが惹かれ合っていって、というのは原作からはちょっと読み取るのが難しかったので、ぜひ舞台でうまいこと表現してほしい。エリカ様、はまり役だと思うし伊藤英明も屈強な雰囲気と体躯にぴったりだと思う。
あと原作や映画ではミッチがガチで嫌な男なんだけど、現代では非難轟々なキャラで間違いないので脚本としても大幅にキャラ変するんだろうなと予想。ブランチの顎をつかみ、無理やりライトの下であらわにさせて「ババアのくせに(意訳)」って吐き捨てる場面を見て、いやデブマザコンのてめえがえらそうに言うなよな??? って思わず毒吐きそうになっちゃった。
「オオカミの家」はドイツ移民がつくりあげたチリの入植地であるコロニア・ディグニタがモデル。悪名高きパウル・シーファーが指導者で、拷問や性的虐待、殺人、死体遺棄などがチリ政府と結託して行われていたカルト団体。2005年にシーファーが逮捕されるが、現在もまだ団体としてビージャ・バビエラとしてレストランなどが運営されている。
「オオカミの家」はシーファーがコロニアのPR動画として作ったという体のファウンド・フッテージ。でもどう見てもPRになってないよねという突っ込みどころ満載。とにかくアニメーションが不気味でおどろおどろしいが、色彩やペイントや立体のアニメーションの核となる造形がどこかオシャレでかわいらしさもある。
コロニア=オオカミの家を逃げ出したマリアがオオカミ=シーファーの手を逃れながら新しい家で暮らし始めるが、そこで今度は自分が支配する側になり、出会った2匹の豚・ペドロとアナ=支配する相手との奇妙な関係を築いていく。
幻想的でまるで悪夢を見ているかのような映像が延々と続き、時折挿入されるオオカミの囁きや恐怖を煽るような音響でバッドトリップしそうだった。というかガチで2度ほど冷や汗と吐き気がこみ上げて(そういうシーンでもないのに)退席しそうになったが、我慢して見たかいがあったほど良かった。
支配される人に「逃げればいいじゃん」と簡単に言う人がいるけど、いやいやそんな簡単なことじゃないよ精神的にも洗脳されていたら、ということがよくわかる作品。
「骨」の方もファウンドフッテージで、人骨が使われた世界初のアニメーションという設定。実在したチリの政治家を風刺した作品で、その人物が3人の子どもを産ませた女性が主人公。人間の偽物の死体を使ってアニメーションを組み立てていく。かわいらしくて不気味で、どこか物哀しげな14分だった。
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植本一子『愛は時間がかかる』を読み終える。トラウマ治療の記録。たしかに前3作と比べると彼女の内面の激しい感情などがあまり描かれておらず、それを期待して読むと物足りなさを感じる人もいるかもしれない。でもトラウマと向き合った治療の記録であり、その感情の変遷についてはとても丁寧につづられていて興味深い。
絶縁していた母親との関係も電話で会話できるまでに修復。というか修復しなくてもしてもいいと思うけど彼女がそれを選んだ、という事実がとても大事で、それを嘘偽りなくつづっていることに注目したい。
毒親問題は根深くて、親への愛情と相反する深い憎悪が子どもたちに罪悪感をもたせる。親もそれに加担する。世間は親を許すべきだと責めた立てる。なぜなら育ててもらったでしょう、お金を出してもらったでしょう、と。でも、親は親の都合で子どもをつくっており、この国では子を育てることは義務だ。それを理解できておらず恩着せがましく振る舞う人間はとても醜い。その醜さが子どもたちを蝕む。子どもに恩を返してほしい人は親になってはいけない、と誰か教えてあげてほしい。毒親予備軍だから。でもさまざまな事情でそれを理解できない人もいる。そして世間は子育ては大変だからと親の味方をする。その結果がこの少子化の時代だ。でも、子を持たない人たちが増えてようやく、親に心理虐待され続けてきた人たちの声が殺されることなくすくい上げてもらえるようになった。皮肉だな。
植本一子には搾取されないよう生きていってほしい。おそらく母親は変わらない。彼女が切望する愛も完全体では手に入らないと思う。でも適度な距離感を見つけられたら、それが彼女の正解だと思う。
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映画『欲望という名の電車』も見終わって原作もちらっと見てみた。2024年の上演予定の公式サイトができていた。これだとスタンリーがブランチを後ろからバッグハグしていて2人の不倫もののように見えるけど、新解釈なのかな。だとしたらより見てみたい。原作は名作だが、時代錯誤な価値観がまん延していて見ていて読んでいてつらさがある。
ブランチは夫の死後、治安が悪いホテルで売春を繰り返したあげく17歳の未成年に手を出してしまう。これが原因して町を追われ、妹ステラのもとに。そこでステラの夫であるスタンリーとたびたび衝突。結局ステラが出産のため家を空けていた日にスタンリーからレイプされてしまことがぼやっと描かれている。精神を病みつつあったブランチはこれが決定打となり、幻想と現実がよく分からないまま精神病院に連れて行かれる。
会話から人物の感情を読み取るのがなかなか難しいのは現代と価値観が全く違うからか。はたまた、現代の小説なり映画はかなり親切だからなのか。スタンリーが劣情をもよおしたシーンは結構唐突に見えたし、もうちょっと前に何かあればより没頭できたのになと感じた。
あーでもそのあたりの感情の深い部分については行動と言動から読み取ってね、っていうのが古典の美徳か。だとしてもスタンリーとブランチが惹かれ合っていって、というのは原作からはちょっと読み取るのが難しかったので、ぜひ舞台でうまいこと表現してほしい。エリカ様、はまり役だと思うし伊藤英明も屈強な雰囲気と体躯にぴったりだと思う。
あと原作や映画ではミッチがガチで嫌な男なんだけど、現代では非難轟々なキャラで間違いないので脚本としても大幅にキャラ変するんだろうなと予想。ブランチの顎をつかみ、無理やりライトの下であらわにさせて「ババアのくせに(意訳)」って吐き捨てる場面を見て、いやデブマザコンのてめえがえらそうに言うなよな??? って思わず毒吐きそうになっちゃった。