映画「エヴォリューション」を見た。

エヴォリューション

孤島で暮らす中年女性たちと10歳くらいの少年たち。そこで少年たちは奇妙は処置を受けている。女性たちはどうやら人間ではなく、タコみたいな吸盤が背中にある。女性たちは少年たちの母らしいけど、たぶんそれも違う。少し不気味でもの悲しげな雰囲気の中、1人の少年が病院に入院して腹部に何かを埋め込まれてからの運命を描いた静かな破滅的な物語。

いやーとにかく画が美しい。この時点でめちゃちゃ好み。
女性たちにはどうやら生殖能力がなく、少年たちの腹部に小さな胎児ぽいなにかを埋め込んで育てて取り出すということを繰り返している。一体少年たちはどこから連れてこられたんだろうと思いながら見ていたけど、最後、主人公が島を脱出しているところを見ると、たぶん近隣の島からさらってきたのかなと思う。

 監督はルシール・アザリロヴィック。手掛けた作品で「ネクター」以外は全部見てる。そして、「ミミ」はかなり好きなんだけど、ちょっと内容があやふやになってる。ただ、静かで悲惨な物語が多いので、個人的にとても好み。

アザリロヴィックはギャスパー・ノエのパートナーなんだけど、ノエよりももっとソフトで作品も分かりやすくて、かつ美しい。だから女子のファンが多いんじゃないかな。ただ、女子に生まれた不幸みたいなのをふわっと描く作品ばかりなので、好みは分かれると思う。私は好き。

「エヴォリューション」はたぶん、生みたくないーっていう女子の思いをああいう形で表現したんじゃないかな。生みたくないよね、普通に考えたら、と思うんだけど、女たちが生みたくないって思ったらやばいから必死で「生むのが当然」「産まない女はやばい」「産まない女はどこか病気」っていうキャンペーンをずっとしてきたんだよねえ、世界中で。

でも人権が尊重されるべきってなって久しいけど、ついでに多様性も叫ばれるようになって、その一環として「いや、生みたくない女がいて当然でしょ?」「私、実は生みたいとか微塵も思わないんだけど」っていう人がちゃんと声をあげられるようになった。

母性は本能とか、産むのは義務って言葉、どう考えてもおかしいでしょ。生みたい女性と生みたくない女性がいて、どちらも平等に公平に選択していいんだよ。女性だからといって生むため、育てるための人生が当たり前ってのはどう考えもおかしいこと。だからチリなんかは女性の大学進学率があがって出生率がぐっと下がったけど、それでいいと思う。子どもが減るのなら出生率をあげようと躍起になるんじゃなく、人がめちゃくちゃ減っても特にインフラが成り立つようにしようって流れが正しい。確実に。AIはめちゃくちゃ賢いしロボット技術はまだまだでも、これからの10年ほどで急速に成長すると思うよ。

出産はまず、体に大ダメージ。産んでしばらくしたら戻るって思ってる人いるけど、戻らないことって結構あるよ。だから産後の肥立ちが悪くてって言葉がある。アレルギーとかめちゃくちゃ発症しやすくなる。歯も弱くなる。血栓のできやすさはピル飲んだときの数倍。

そして最大のデメリットは、脳の萎縮。数年かけて別の状態になるらしい。なので、出産前の状態には戻れない。産後ボケの状態は寛解しても、元の思考を持つ自分には絶対戻れない。自分が嫌いな人はいいかもだけど、特にクリエイティブな仕事を産前にしていて認められた人はデメリットが大きすぎると思う。

小さいころから思ってたんだよね。母親である人たちは何かしら共通した雰囲気というか空気というか性格のクセみたいなものがあるって。それって多分妊娠による脳の萎縮が関係しているんだなと思った。“おかん感”というか。頼もしいけど、繊細な思考力は子育てにはいらないからどこかに置いてきたって感じ。それがほしい人、いらない人がいて当然。

中には出産して性格ががらっと変わって良かったって人もいう。そういう人は向いているんだと思う。でも、切れやすくなったとか怒りやすくなった、鬱っぽくなったっていう声はそれ以上に聞く。身近なところではそういう感情から虐待していた人もいる。産前は頭脳労働していた人だった。

だから産みたくないって人は絶対に自分の思いを押し通したほうがいい。後悔しても遅い。子どもはかわいいと思う人とかわいくないと思う人の両方がいる。かわいいと思って当然、ではない。自分の思い通りにならない存在を愛おしむことができるって少ないと思う。

っていう思いを詰め込んでダークファンタジーぽくしたのが「エヴォリューション」だと思う。なんで女が産まなきゃいけないの、って聞こえてくるようだった。だよねえ。技術が発達して男性も出産の苦しみを担えるようになればいいのにねえ。そしたら産みたくないって主張する男性、めちゃくちゃ多いと思う。そこまでして自分の子孫を残したいのか、いやそこまでせんでもいいって思うのか。人に丸投げだから産んでほしいって思ってる人多いと思う。全員が当事者になればよいのにね。