ミシェル・フランコにハマる。というわけで、「母という名の女」と「或る終焉」を見た。
「母という名の女」はメキシコの風光明媚なリゾート地が舞台。17歳の娘が同い年の彼氏と子どもを作ってしまったんだけど、特に怒るわけもなく受け入れてみんなで育てることに。しかし次第に母には赤ん坊への独占欲が生まれ、娘から赤ん坊の親権を奪ってしまう。
毒親映画とバズっていたので見たけど、まあ良かったは良かったけどそこまでは刺さらなかった。いるよね、こういう女という感想。形はいろいろあれど、子への異様な独占欲とか所有物とかしか思ってない母親は普通にいるし、母になる過程でそうなるんだろうなとうっすら思ってる。もちろんそうじゃない母親もたくさんいる。中にはいるよね、困ったママ、という話。
で、「或る終焉」ですよ。いや素晴らしかった。物心ついたときからティム・ロスが好きで。「海の上のピアニスト」を見たからんだけど、いまだ彼はすばらしい俳優だよね。顔がこのみなわけじゃないんだけど、滲み出る心底からの感情が画面から伝わってくる。怖い。最高。
さて、「或る映画」は終末期の患者を自宅で看護する訪問看護師の男性・デイビットが主人公。彼と患者との関わり、そして過去にあったことが淡々と描かれているのだけど、1度目に見たときにはめちゃくちゃ献身的で人情深く、まるで聖人や人々が思い描く理想的な親友のようで、誰しもが死が迫ったときにそばにいてくれたらいいのにと思っているような人物に見えた。
でも、ちょっとした違和感があったので2度目を見た。
そしたら、途端にデイビットが不気味な人間に見えてきたんだよね。彼は死が目の前にあるからこそ彼らを献身的に支えたのであって、多分そういう自分が大好きで、その悲しみの中に没頭するのが大好きで、そんな自分の異様ともいえる嗜好をもはや本人は忘れていて、本当に自分のことを正義感あふれる善人だと思い込んでいるのでは。そんな人物に思えた。
だってさ、エイズの終末期の患者が亡くなった後。バーで悲しみに暮れるデイビット、隣では結婚が決まって浮かれるカップル。彼らに1人で来た理由を聞かれ「21年間連れ添った妻が死んだ、エイズで」とデイビット。違和感しかない。まず患者であって妻ではない。ものすごく献身的に支えてきたとしても、妻という存在とは別物だ。なのに妻だと答えてしまう。しかも結婚することになって幸せいっぱいのカップルに、そう答えてしまう身勝手さ。患者だといったら彼らの反応はまた違ったはず。幸せな人間のテンションを落としてやろうという魂胆があるのに、そういうわけではなくただ悲しいだけ……みたいな感じに見える。
デイビットはこの後も、ところどころでさらっと嘘をつく。それが違和感として降り積もっていった。
その後に担当する高齢の男性についても、一見、友情をはぐくんでいるように見えるけど、二度目に見たときには寂しさゆえの執着に感じる。
彼が娘と再会するシーンも、最初は女性にストーキングしているように見えた。あれは意図的に描かれてるよね。デビットの内面の不気味さを。
最高の映画だなと感動に打ち震えている。
「母という名の女」はメキシコの風光明媚なリゾート地が舞台。17歳の娘が同い年の彼氏と子どもを作ってしまったんだけど、特に怒るわけもなく受け入れてみんなで育てることに。しかし次第に母には赤ん坊への独占欲が生まれ、娘から赤ん坊の親権を奪ってしまう。
毒親映画とバズっていたので見たけど、まあ良かったは良かったけどそこまでは刺さらなかった。いるよね、こういう女という感想。形はいろいろあれど、子への異様な独占欲とか所有物とかしか思ってない母親は普通にいるし、母になる過程でそうなるんだろうなとうっすら思ってる。もちろんそうじゃない母親もたくさんいる。中にはいるよね、困ったママ、という話。
で、「或る終焉」ですよ。いや素晴らしかった。物心ついたときからティム・ロスが好きで。「海の上のピアニスト」を見たからんだけど、いまだ彼はすばらしい俳優だよね。顔がこのみなわけじゃないんだけど、滲み出る心底からの感情が画面から伝わってくる。怖い。最高。
さて、「或る映画」は終末期の患者を自宅で看護する訪問看護師の男性・デイビットが主人公。彼と患者との関わり、そして過去にあったことが淡々と描かれているのだけど、1度目に見たときにはめちゃくちゃ献身的で人情深く、まるで聖人や人々が思い描く理想的な親友のようで、誰しもが死が迫ったときにそばにいてくれたらいいのにと思っているような人物に見えた。
でも、ちょっとした違和感があったので2度目を見た。
そしたら、途端にデイビットが不気味な人間に見えてきたんだよね。彼は死が目の前にあるからこそ彼らを献身的に支えたのであって、多分そういう自分が大好きで、その悲しみの中に没頭するのが大好きで、そんな自分の異様ともいえる嗜好をもはや本人は忘れていて、本当に自分のことを正義感あふれる善人だと思い込んでいるのでは。そんな人物に思えた。
だってさ、エイズの終末期の患者が亡くなった後。バーで悲しみに暮れるデイビット、隣では結婚が決まって浮かれるカップル。彼らに1人で来た理由を聞かれ「21年間連れ添った妻が死んだ、エイズで」とデイビット。違和感しかない。まず患者であって妻ではない。ものすごく献身的に支えてきたとしても、妻という存在とは別物だ。なのに妻だと答えてしまう。しかも結婚することになって幸せいっぱいのカップルに、そう答えてしまう身勝手さ。患者だといったら彼らの反応はまた違ったはず。幸せな人間のテンションを落としてやろうという魂胆があるのに、そういうわけではなくただ悲しいだけ……みたいな感じに見える。
デイビットはこの後も、ところどころでさらっと嘘をつく。それが違和感として降り積もっていった。
その後に担当する高齢の男性についても、一見、友情をはぐくんでいるように見えるけど、二度目に見たときには寂しさゆえの執着に感じる。
彼が娘と再会するシーンも、最初は女性にストーキングしているように見えた。あれは意図的に描かれてるよね。デビットの内面の不気味さを。
ジムでも思い切り人種差別のシーンがあるし。
でも彼は始終とても“善い人”なのだ。終末期の人にとっては。語られたことから推測するに重病の息子を安楽死させているようで、それによって家族は崩壊してるし、本人は苦しめられ続けているみたいだけど、本当は? 自分のキャパシティを超えたから手放したのでは? まるでゲームを終了させるみたいに。これ以上は無理、だと。
そんなデイビットの本性は、最後に担当した若い青年を公園につれて行ったときの表情でふわっとぬるい風が吹き込んでくるかのような気持ち悪さが感じられた。ああ、退屈そうだな……と。だって彼は死なないから。
最初に見たときは、なんて辛いラストだろうと思った。でも2度目に見たときには、監督の辛辣なメッセージが感じられた。
でも彼は始終とても“善い人”なのだ。終末期の人にとっては。語られたことから推測するに重病の息子を安楽死させているようで、それによって家族は崩壊してるし、本人は苦しめられ続けているみたいだけど、本当は? 自分のキャパシティを超えたから手放したのでは? まるでゲームを終了させるみたいに。これ以上は無理、だと。
そんなデイビットの本性は、最後に担当した若い青年を公園につれて行ったときの表情でふわっとぬるい風が吹き込んでくるかのような気持ち悪さが感じられた。ああ、退屈そうだな……と。だって彼は死なないから。
最初に見たときは、なんて辛いラストだろうと思った。でも2度目に見たときには、監督の辛辣なメッセージが感じられた。
追記。ラストは自殺だね。ずーっと前見て走ってて最後だけ車の方見て突っ込んでる。