ミシェル・フランコにハマってるので、「ニューオーダー」を見て友人が海外版を持ってたので「ダニエルとアナ」も見た。
ニューオーダーは露悪的すぎて私としてはあまり。で、ダニエルとアナはやばかった。最初に実話にもとづいた話との注釈があって、ぞっとした。さすがのありとあらゆる鬱映画を見ている私でも、こんな地獄があるんだと震えた。
以下、盛大なネタバレがあるので気を付けて。白文字で書いてます。
メキシコではずっと地下ポルノが社会問題になってて、誘拐された人が突然ビデオに出演強要されて撮られて闇市に流されるんだって。映画では富裕層の親のもとに生まれたアナとダニエルの姉弟が、あるとき普通に市街地を車で移動してたら、開いていた窓から突然銃を突きつけられて誘拐されてしまう。連れていかれた一軒家で2人は「2人でファックしろ、拒否するならレイプした上で殺す。ファックか殺されるか選べ」って選択肢を突きつけられる。当然戸惑うんだけど時間もそんなに与えられなくて、結局、ダニエルに銃を突きつけられたアナは行為することを決断。嫌々カメラの前ですることに。
撮影は2人の身分証明書をカメラに向けるところからスタートする。だから身元もバレバレ。無事解放されるけど、この出来事は2人の中でかなりのトラウマに。
アナは3ヶ月後に結婚式を控えていたけど恋人との関係が不穏となり、ダニエルも高校に行かなくなる。ピルは飲んでいたから妊娠の危険性はなかったものの、ダニエルは不安からなのかネットで自分と姉の名前を検索。この検索窓に書かれた文字が原題。
アナは偽名を使ってカウンセリングも受けるんだけど、ダニエルは一緒に受けるつもりが結局スムーズに行かない。
そうこうするうちにアナは恋人との仲を取り戻して予定通り結婚することに。しかし一方で、ダニエルは渦中に取り残されたみたいな感じになってしまう。
ある夜、ダニエルは誘拐された日に運転していた自分が進路を変更しなかったから被害にあって申し訳ないとアナに謝る。でも、アナは誰も悪くない、不運だっただけってフォローする。ここでダニエルの傷も少し癒えたのかなと思ってたら、その日の夜中、ダニエルはアナを犯してしまう。
そこからアナはダニエルを避けて恋人の家で暮らすように。家にやってきたダニエルに、どうして自分にそうしたかも聞かない。聞かなくてもわかってたのかも。そしてこれをきっかけに、アナは夫とともにスペインに行くことを決意。
そして結婚式当日。ダニエルはナイフを持ってアナの夫を殺そうとするけど、直前で躊躇って殺せない。結局、乾杯のドリンクの中に自分の精液を入れて夫に飲ます。最後は、遠くへ行ってしまうアナに固くハグするけど、一方のアナは複雑そうな表情を浮かべていた。
ネタバレ終わり。
個人的には近親間の行為の強要はかなりハイレベルな地獄だと思っていて、それを当事者もしくは外部の人間から強要されることや、その影響で生活がおびやかされるのは鬱映画たる重要な要素のうちの一つだよね。
他の映画にないようなこのタイプの地獄を見せられて、やべえな……と思ったと同時に実話ベースなことに戦慄した。
そして、ダニエルがアナにしたことについて、ふと思い至った。これってトラウマの再演じゃないかと。
人ってトラウマになるような出来事に遭遇すると、その出来事に対して心が停止するために“経験したこと”がちゃんと完了しないんだよね。だから、自分の納得する形で完了させるために(傷つかないルートに補正するために)何度も繰り返すことがある。
これをトラウマの再現とか反復強迫っていう。前者はトラウマ体験を再現することで、後者は無意識レベルの繰り返しを含む感じ。
ダニエルは殺されるかもしれない事件に巻き込まれた。そこで信頼している姉と望まない行為を強要される。それによって精神不安定に。強要されたことで深く傷ついてどうして良いかわからない。なのに一緒に被害にあった姉は先に進もうとしている。
ダニエルは絶望の中で自分が自分を助けるためにトラウマを再現してしまう。加えて、自分を残して先に進んでしまった姉への恨みもあったのかな。姉への複雑な愛情も絡んでた? それとも、望まない行為で親愛が性愛と混線してしまったのかも。
人間っていう生物は複雑で、一見理解不能な本人にとって不利益でしかないことを繰り返すことがある。まさにこれがトラウマの再現だったり反復強迫で、例えば、DV被害にあっていた人がまた同じような人を選ぶとか、虐待されていた人が虐待する側になるとか、そういうのがある。コントロールできないから問題なんだよね。意識的ではない無意識レベルで起こるから。
そしてこの鑑賞をきっかけに気付いた。「在る終焉」のデイビットはトラウマの再演をしようとしていたんだって。監督がたぶんとてもその部分に興味がある人で、よく見れば「母という名の女」も子どもたちと別居(放任)→赤ちゃんを放棄っていう反復強迫に見えなくもない行動に出てる。
2度目の鑑賞でデイビットは苦しい人を看護する自分が好きでそういうストーリーに飲み込まれている状態が大好きなタイプの人間かと思ってたんだけど、息子を死に至らしめた過去を正当化するためにトラウマの再現をずっと試みていて、結局思いが叶うんだけど自分が望んだような“経験の完了”が得られなかったから自殺したんだろうね。はーなるほど。
あとひとつ。ミシェル・フランコの人間嫌いな感じがよく出てるなと思ったのは、悲惨な経験を経て献身的な看護師となったデイビットを人々は皆善人とみなすだろうという目論見。すごく良い人だと私も思ってた。でも、端々に彼が善人ではない要素が散りばめられている。実はもともと性格が悪い人として描かれてるんだよね。その人を嘲笑うかのようなミスリードもフランコぽくて。
結果的に性格が悪い人が不運から難病の息子を尊厳死させていて、そのトラウマから自分の行いを正当化させるために終末期の患者を診る看護師として献身的に仕事をするも、その目的はトラウマの再現だった。だから患者が死んだら言い方悪いけど“用無し”で家族に寄り添うこともしない。エイズで亡くなった女性のご遺体を丁寧に拭いていたのは、たぶん息子にもそうしたのかな。当時。
ただし彼は医学生の実の娘にだけは優しい。最後もたぶん事故死に見せかけることにしたのは娘のためだろうし。あ、あのシーンはずーっと前を見て走っていたデイビットがわざとらしく車の方に目線を向けてから車に突っ込んでるので自殺の描写だと思う。
自分の行いが正当化できなかった、自分は看護に疲れて手放したんじゃない、ってずっと真実から目をそらし続けてきた。でも結局、自分は息子の看護に疲れ果てたからあやめたっていう答えを自分自身に突きつけてしまった。それとも、もしかしたら優秀な娘の将来のために?
良心の呵責を感じるくらいにはいい人だったのだと思う。そこが絶妙なバランスだよね。多くの映画って完全にいい人か完全に悪い人しか出てこないから。でも実際は、微妙に性格悪くて微妙に心が弱いってのが人間だと思う。すごいリアル。拍手。
ニューオーダーは露悪的すぎて私としてはあまり。で、ダニエルとアナはやばかった。最初に実話にもとづいた話との注釈があって、ぞっとした。さすがのありとあらゆる鬱映画を見ている私でも、こんな地獄があるんだと震えた。
以下、盛大なネタバレがあるので気を付けて。白文字で書いてます。
メキシコではずっと地下ポルノが社会問題になってて、誘拐された人が突然ビデオに出演強要されて撮られて闇市に流されるんだって。映画では富裕層の親のもとに生まれたアナとダニエルの姉弟が、あるとき普通に市街地を車で移動してたら、開いていた窓から突然銃を突きつけられて誘拐されてしまう。連れていかれた一軒家で2人は「2人でファックしろ、拒否するならレイプした上で殺す。ファックか殺されるか選べ」って選択肢を突きつけられる。当然戸惑うんだけど時間もそんなに与えられなくて、結局、ダニエルに銃を突きつけられたアナは行為することを決断。嫌々カメラの前ですることに。
撮影は2人の身分証明書をカメラに向けるところからスタートする。だから身元もバレバレ。無事解放されるけど、この出来事は2人の中でかなりのトラウマに。
アナは3ヶ月後に結婚式を控えていたけど恋人との関係が不穏となり、ダニエルも高校に行かなくなる。ピルは飲んでいたから妊娠の危険性はなかったものの、ダニエルは不安からなのかネットで自分と姉の名前を検索。この検索窓に書かれた文字が原題。
アナは偽名を使ってカウンセリングも受けるんだけど、ダニエルは一緒に受けるつもりが結局スムーズに行かない。
そうこうするうちにアナは恋人との仲を取り戻して予定通り結婚することに。しかし一方で、ダニエルは渦中に取り残されたみたいな感じになってしまう。
ある夜、ダニエルは誘拐された日に運転していた自分が進路を変更しなかったから被害にあって申し訳ないとアナに謝る。でも、アナは誰も悪くない、不運だっただけってフォローする。ここでダニエルの傷も少し癒えたのかなと思ってたら、その日の夜中、ダニエルはアナを犯してしまう。
そこからアナはダニエルを避けて恋人の家で暮らすように。家にやってきたダニエルに、どうして自分にそうしたかも聞かない。聞かなくてもわかってたのかも。そしてこれをきっかけに、アナは夫とともにスペインに行くことを決意。
そして結婚式当日。ダニエルはナイフを持ってアナの夫を殺そうとするけど、直前で躊躇って殺せない。結局、乾杯のドリンクの中に自分の精液を入れて夫に飲ます。最後は、遠くへ行ってしまうアナに固くハグするけど、一方のアナは複雑そうな表情を浮かべていた。
ネタバレ終わり。
個人的には近親間の行為の強要はかなりハイレベルな地獄だと思っていて、それを当事者もしくは外部の人間から強要されることや、その影響で生活がおびやかされるのは鬱映画たる重要な要素のうちの一つだよね。
他の映画にないようなこのタイプの地獄を見せられて、やべえな……と思ったと同時に実話ベースなことに戦慄した。
そして、ダニエルがアナにしたことについて、ふと思い至った。これってトラウマの再演じゃないかと。
人ってトラウマになるような出来事に遭遇すると、その出来事に対して心が停止するために“経験したこと”がちゃんと完了しないんだよね。だから、自分の納得する形で完了させるために(傷つかないルートに補正するために)何度も繰り返すことがある。
これをトラウマの再現とか反復強迫っていう。前者はトラウマ体験を再現することで、後者は無意識レベルの繰り返しを含む感じ。
ダニエルは殺されるかもしれない事件に巻き込まれた。そこで信頼している姉と望まない行為を強要される。それによって精神不安定に。強要されたことで深く傷ついてどうして良いかわからない。なのに一緒に被害にあった姉は先に進もうとしている。
ダニエルは絶望の中で自分が自分を助けるためにトラウマを再現してしまう。加えて、自分を残して先に進んでしまった姉への恨みもあったのかな。姉への複雑な愛情も絡んでた? それとも、望まない行為で親愛が性愛と混線してしまったのかも。
人間っていう生物は複雑で、一見理解不能な本人にとって不利益でしかないことを繰り返すことがある。まさにこれがトラウマの再現だったり反復強迫で、例えば、DV被害にあっていた人がまた同じような人を選ぶとか、虐待されていた人が虐待する側になるとか、そういうのがある。コントロールできないから問題なんだよね。意識的ではない無意識レベルで起こるから。
そしてこの鑑賞をきっかけに気付いた。「在る終焉」のデイビットはトラウマの再演をしようとしていたんだって。監督がたぶんとてもその部分に興味がある人で、よく見れば「母という名の女」も子どもたちと別居(放任)→赤ちゃんを放棄っていう反復強迫に見えなくもない行動に出てる。
2度目の鑑賞でデイビットは苦しい人を看護する自分が好きでそういうストーリーに飲み込まれている状態が大好きなタイプの人間かと思ってたんだけど、息子を死に至らしめた過去を正当化するためにトラウマの再現をずっと試みていて、結局思いが叶うんだけど自分が望んだような“経験の完了”が得られなかったから自殺したんだろうね。はーなるほど。
あとひとつ。ミシェル・フランコの人間嫌いな感じがよく出てるなと思ったのは、悲惨な経験を経て献身的な看護師となったデイビットを人々は皆善人とみなすだろうという目論見。すごく良い人だと私も思ってた。でも、端々に彼が善人ではない要素が散りばめられている。実はもともと性格が悪い人として描かれてるんだよね。その人を嘲笑うかのようなミスリードもフランコぽくて。
結果的に性格が悪い人が不運から難病の息子を尊厳死させていて、そのトラウマから自分の行いを正当化させるために終末期の患者を診る看護師として献身的に仕事をするも、その目的はトラウマの再現だった。だから患者が死んだら言い方悪いけど“用無し”で家族に寄り添うこともしない。エイズで亡くなった女性のご遺体を丁寧に拭いていたのは、たぶん息子にもそうしたのかな。当時。
ただし彼は医学生の実の娘にだけは優しい。最後もたぶん事故死に見せかけることにしたのは娘のためだろうし。あ、あのシーンはずーっと前を見て走っていたデイビットがわざとらしく車の方に目線を向けてから車に突っ込んでるので自殺の描写だと思う。
自分の行いが正当化できなかった、自分は看護に疲れて手放したんじゃない、ってずっと真実から目をそらし続けてきた。でも結局、自分は息子の看護に疲れ果てたからあやめたっていう答えを自分自身に突きつけてしまった。それとも、もしかしたら優秀な娘の将来のために?
良心の呵責を感じるくらいにはいい人だったのだと思う。そこが絶妙なバランスだよね。多くの映画って完全にいい人か完全に悪い人しか出てこないから。でも実際は、微妙に性格悪くて微妙に心が弱いってのが人間だと思う。すごいリアル。拍手。