アルコール依存症の人を題材にした作品なりエッセイ、映画が大好きだ。以下、書くのが面倒なのでアル中とする。
お酒は死ぬほど好きで若いころから浴びるほど…とするには言い過ぎだけど、人に言わせてみれば印象の二言目くらいに必ず酒が入るほど飲んでいた(らしい)。ただ、予めことわっておくと私の先月のγ-GTPは10ジャストだったので、今は肝臓が元気なようだ。でも数年前に謎の慢性肝障害だと診断されたことがあって、医者はてっきり酒が原因かと思っていたみたいだったけどBMI18台から22ほどになった急激な体重増量が全身に悪さをしていたらしく、ダイエットしたら綺麗に戻って今に至る。あ、あとその後また別の要因で肝臓が不機嫌になってたけど、それも酒のせいではなかった。
というわけで太っちゃいけない体質のようなので、今は大人しく1日多くてもワイン1/2本くらいしか飲まないのだけど、酒を飲むと常に体にかかっている重力から解放されて生きることが楽になる気がする。だから20代から30代くらいは常にほろ酔いでいたいくらいだった。というか昼から飲んでいたし学校でも飲んでいたし、散歩しながらチューハイを飲んで公園でも上機嫌で飲みながら友人や恋人と談話していた。当然旅行先でも昼から飲んでいたし、休日はやっぱり朝から飲むのが当たり前だった。
酒を飲むと楽しいけど、どちらかというと楽にしてくれる魔法の飲料という感じだった。多分私は立派なアル中だったのだろう。ただ飲みすぎて記憶をなくすとか暴れまくって人に迷惑をかけるとかはほぼなかったと思う。でも飲まないと眠れなくなっていたし、気絶直前まで飲んで眠りに落ちて起きて体が死ぬほどだるい、という日常が当たり前だった。
あるときふと、バーでソムリエで話していたらこれじゃまずいなと思って飲む酒をビールやチューハイからワインに切り替えたら、自然と酒量が減っていった。それでも1日ワイン1本を開けるのが結構当たり前だったから、結構飲んでいたなと思う。
さて。そんな酒大好きな私が、アル中の人の何にそんなに惹かれるのか。思い返せばコントロールできなくて完全にアル中だと思わしき友人は何人かいた。皆、飲んでいないと普通の人でまともに社会生活を送っていた。学位も取れていた。でも、酒を飲むと途端に“迷惑な人”“変な人”になって眉をひそめられていた。当人たちはそれに気付いていないようだった。シラフではあんなにいい人で真面目なのに、どうしてなんだろうといつも彼らを見ながら不思議に思っていた。
私は彼らと違って酒にあまり強くないのだ。たぶん。酒の日々が続くと体を壊すし、体調によってはすぐ吐いてしまう。嘔吐恐怖もあるので、体調の悪さがコントロールに繋がっていたのだろう。彼らはかなり健康体で酒も強かった。一般的にアル中になれるのは酒豪だ。私は鯨飲したことはないし、体質的にできないくらいなのでアル中にはなりたくても(なりたくないけど)なれなかった。
アル中の名作といえば吾妻ひでお『失踪日記』。アル中となって失踪した先の生活などをつづった名作マンガ。続編として『アル中病棟』がある。絵柄がかわいいしテンポも良いので抵抗なく読めるが、普通に考えたら人気漫画家が失踪して山で暮らしたりホームレス同然の生活をしたり、その後身分を隠して配管工の仕事をしていたりと、かなり壮絶である。
アル中漫画で外せないのは永田カビ『現実逃避していたらボロボロになった話』も凄まじい。γ-GTPが1000超えの猛者。どうして酒を飲み続けたのかがシリアスに、でもちょっとユーモラスにつづられている。絵がめちゃくちゃかわいくてうまい。メタ視点ができているからこそ悩むのだろうけど、それにしても謎そこまで……という疑問を読者に抱かせながらも納得させていく構成は白眉。
他にもまんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』、中島らも『今夜、すべてのバーで』、鴨志田穣『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』、菊池真理子『酔うと化け物になる父がつらい』、邦山照彦『アル中地獄』なんかもかなり壮絶だった。大月悠祐子『ど根性ガエルの娘』の父親もアル中だった記憶。
いろいろアル中ものを探す中で、2022年に亡くなった小田嶋隆のエッセイ『上を向いてアルコール』を読んだ。酒で約束事を反故にしても許される大らかなバブル期の様子がつづられている。小田嶋も例に漏れず酒が強かったが、2000年代頭に治療を受けて以来飲んでいなかったようだ。飲まなくなった日々の表現として、胸にぽっかりと穴が開いたようなつまらなさみたいに書いていたと思うけど、分かってしまうところがやはり私もアル中だったのだろうと思う。
アル中は連続飲酒のイメージがかなり強いけど、そうじゃなく実際にはコントロール障害だ。量は関係なくて飲んで自分をコントロールできなくなってしまうと診断が下る。極端なことを言えば、浴びるように飲む人でも仕事があるときや他人との約束事がある前日は飲まないでおこうとできる人はアル中ではない。酒によって人生が崩れつつある人がアル中である。
一線を超えてしまう理由は人それぞれだけど、壮絶な人生を描いたものが読みたいなと日々思っている。なぜそうさせたのか、なぜそうなってしまったのかを知りたい。
お酒は死ぬほど好きで若いころから浴びるほど…とするには言い過ぎだけど、人に言わせてみれば印象の二言目くらいに必ず酒が入るほど飲んでいた(らしい)。ただ、予めことわっておくと私の先月のγ-GTPは10ジャストだったので、今は肝臓が元気なようだ。でも数年前に謎の慢性肝障害だと診断されたことがあって、医者はてっきり酒が原因かと思っていたみたいだったけどBMI18台から22ほどになった急激な体重増量が全身に悪さをしていたらしく、ダイエットしたら綺麗に戻って今に至る。あ、あとその後また別の要因で肝臓が不機嫌になってたけど、それも酒のせいではなかった。
というわけで太っちゃいけない体質のようなので、今は大人しく1日多くてもワイン1/2本くらいしか飲まないのだけど、酒を飲むと常に体にかかっている重力から解放されて生きることが楽になる気がする。だから20代から30代くらいは常にほろ酔いでいたいくらいだった。というか昼から飲んでいたし学校でも飲んでいたし、散歩しながらチューハイを飲んで公園でも上機嫌で飲みながら友人や恋人と談話していた。当然旅行先でも昼から飲んでいたし、休日はやっぱり朝から飲むのが当たり前だった。
酒を飲むと楽しいけど、どちらかというと楽にしてくれる魔法の飲料という感じだった。多分私は立派なアル中だったのだろう。ただ飲みすぎて記憶をなくすとか暴れまくって人に迷惑をかけるとかはほぼなかったと思う。でも飲まないと眠れなくなっていたし、気絶直前まで飲んで眠りに落ちて起きて体が死ぬほどだるい、という日常が当たり前だった。
あるときふと、バーでソムリエで話していたらこれじゃまずいなと思って飲む酒をビールやチューハイからワインに切り替えたら、自然と酒量が減っていった。それでも1日ワイン1本を開けるのが結構当たり前だったから、結構飲んでいたなと思う。
さて。そんな酒大好きな私が、アル中の人の何にそんなに惹かれるのか。思い返せばコントロールできなくて完全にアル中だと思わしき友人は何人かいた。皆、飲んでいないと普通の人でまともに社会生活を送っていた。学位も取れていた。でも、酒を飲むと途端に“迷惑な人”“変な人”になって眉をひそめられていた。当人たちはそれに気付いていないようだった。シラフではあんなにいい人で真面目なのに、どうしてなんだろうといつも彼らを見ながら不思議に思っていた。
私は彼らと違って酒にあまり強くないのだ。たぶん。酒の日々が続くと体を壊すし、体調によってはすぐ吐いてしまう。嘔吐恐怖もあるので、体調の悪さがコントロールに繋がっていたのだろう。彼らはかなり健康体で酒も強かった。一般的にアル中になれるのは酒豪だ。私は鯨飲したことはないし、体質的にできないくらいなのでアル中にはなりたくても(なりたくないけど)なれなかった。
アル中の名作といえば吾妻ひでお『失踪日記』。アル中となって失踪した先の生活などをつづった名作マンガ。続編として『アル中病棟』がある。絵柄がかわいいしテンポも良いので抵抗なく読めるが、普通に考えたら人気漫画家が失踪して山で暮らしたりホームレス同然の生活をしたり、その後身分を隠して配管工の仕事をしていたりと、かなり壮絶である。
アル中漫画で外せないのは永田カビ『現実逃避していたらボロボロになった話』も凄まじい。γ-GTPが1000超えの猛者。どうして酒を飲み続けたのかがシリアスに、でもちょっとユーモラスにつづられている。絵がめちゃくちゃかわいくてうまい。メタ視点ができているからこそ悩むのだろうけど、それにしても謎そこまで……という疑問を読者に抱かせながらも納得させていく構成は白眉。
他にもまんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』、中島らも『今夜、すべてのバーで』、鴨志田穣『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』、菊池真理子『酔うと化け物になる父がつらい』、邦山照彦『アル中地獄』なんかもかなり壮絶だった。大月悠祐子『ど根性ガエルの娘』の父親もアル中だった記憶。
いろいろアル中ものを探す中で、2022年に亡くなった小田嶋隆のエッセイ『上を向いてアルコール』を読んだ。酒で約束事を反故にしても許される大らかなバブル期の様子がつづられている。小田嶋も例に漏れず酒が強かったが、2000年代頭に治療を受けて以来飲んでいなかったようだ。飲まなくなった日々の表現として、胸にぽっかりと穴が開いたようなつまらなさみたいに書いていたと思うけど、分かってしまうところがやはり私もアル中だったのだろうと思う。
アル中は連続飲酒のイメージがかなり強いけど、そうじゃなく実際にはコントロール障害だ。量は関係なくて飲んで自分をコントロールできなくなってしまうと診断が下る。極端なことを言えば、浴びるように飲む人でも仕事があるときや他人との約束事がある前日は飲まないでおこうとできる人はアル中ではない。酒によって人生が崩れつつある人がアル中である。
一線を超えてしまう理由は人それぞれだけど、壮絶な人生を描いたものが読みたいなと日々思っている。なぜそうさせたのか、なぜそうなってしまったのかを知りたい。