Netflixドラマ「YOU 君がすべて」S5を見終わった。ようやく完結! 恋愛依存のイケメンストーカー・ジョーの物語もこれで終わり。

S1から最高に面白かったんだけど、最後はなんというかキレイに終わりすぎたかなという感想。

NYマンハッタンでレトロな本屋を営んでいるジョーは見た目は爽やかイケメンなんだけど、ターゲットにした女性をストーキングして彼女に惚れられるようなストーリーを頭の中で展開させ、自分の筋書きどおりに惚れさせていくという内容だったS1。途中で相手の女性・ベックにバレてこじれて結局殺害。

その後も恋に堕ちる→別の女性に惚れる→恋人や妻を殺害→次へ……を繰り返して3年。なんと、シリアルキラーなのに全米が憧れる巨大企業CEOの運命的王子様としてファッション誌の表紙を飾るまでに。バレないのがすごい。

でもまた悪いクセが出て作家志望の若い女子に惚れ込んで、現在の妻が邪魔に。毎度お決まりのパターンではあったけど、今回もなかなかサイドキャラたちが魅力的だった。

中でもマディーは最高だったね。ジョーの妻でロックウッド社のCEOでもあるケイトの実の妹。社の広報担当。双子で、もう片方はレーガン。レーガンは一族一のIQを誇り文武両道のスーパーガール。一方でマディはそんなレーガンの奴隷も同然。なんと、体形を崩したくないというレーガンに命令されて代理母までやらされる始末。

でも、物語では最初の方で過去に軟禁されて耳を切り落とされたっていうエピソードをジョーに明かしたところから空気が変わる。実はマディこそ高い頭脳と明晰力で相手を虜にしてコントロールすることに長けているキャラでは? ってめちゃくちゃ期待しながら見たんだよね。結果的にあんまりそんな感じではなかったものの、物語では存分に魅力を放ってたと思う。レーガンと自分を演じ分けるシーンは最高だった。金髪にピンクのミニドレスっていう、古き良き時代のアメリカのセックスシンボルみたいな格好もエモかったね。

というわけで、最初から最後まで実は超天才だったマディがジョーと対立する物語、を期待してたんだけどメインはケイトとブロンテだったので、うーんまあいいかと思いながらもちょっと消化不良でした。

というかこれに限らず、海外ドラマってシーズン1が最高だよね。一方でブラック・ミラーは短編だからあんまり関係なくて、シーズンでいうと7が最高傑作。

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漫画『午後の光線』を読んだ。なんていう名作を見逃してたんだと震えたよね。なんかテレビで紹介されたらしく重版が続いてるらしい。全人類読んで。








幼いころに事故で父を亡くし、母と2人暮らしの中学生の淀井と、クラスのいじめられっこである村瀬の物語。淀井には自傷癖があって、それはたぶん父が死んだ直後に茫然自失でずっと無視されてた母に再び構ってもらえたときに、転んで怪我をしていたからだと推察できるんだよね。

村瀬は村瀬で鉄道自殺を目撃したときから、恐怖感と嫌悪が快楽と混線してしまい、マグロの写真を蒐集するように。自分でもなぜそうしているか理解できない。

それを淀井に知られると、淀井はもっと大きな衝撃で村瀬を治療できないかと考える。治療は“えろい”こと。2人は密かに体を重ねるように。

村瀬が淀井を想う一方で、淀井は村瀬への気持ちがわからない。それに気づいた村瀬は距離を取るように。しかしいろいろあって2人は相思相愛に……。以降ネタバレなので読んでない人は飛ばしてね。
















冬休みに入って毎日会っていた2人。村瀬がちょっと旅行で長野に行くことになり、ほんの数日別れるだけでもかなしそうな顔をしていた淀井。その直後、淀井は母の彼氏と3人で食事をする日、トラックに轢かれて急死してしまう。突然のことに感情が処理しきれない村瀬。淀井と一緒に埋めた淀井の乳歯を友人たちと一緒に掘り返す。友人のうち、淀井の親友は2人の関係に気づいていた。最後、合唱コンクールの前座として村瀬は淀井への弔いの気持ちを全生徒の前で静かに語った。



もうね、とんでもない名作だった。村瀬の日記や手紙が素晴らしくて、2人の複雑な心理描写もすばらしくて。

そして特筆すべきは、2人ともが抗えないトラウマの再現反復強迫に困惑しながらも対峙しようとしていた点。

人はトラウマがあると、頭の中でもう一度再現して当時に納得できなかった状況をちゃんと完結したいと考えるんだって。あと、同じような状況に身をおいたり、自らその状況を作り出しちゃったり。DVされて逃げた人が再びDV男と付き合っちゃうのもこれ。でも、そんなことしてもちゃんと完結できないの。脳にはそれが分からない。本人もなぜそうしてるか理解できない。だから心の問題として、よく取り上げられる。

淀井の自傷行為は母(というか愛する人)に構ってもらいたいから。彼氏じゃなく自分を一番に思ってほしから。母と恋人との関係も最後の方では認めたいみたいなことをいっているけど、深層では我慢とか無理していたっぽい。彼の場合は、トラウマの再現+報酬系の誤作動ぽい。

村瀬はわかりやすくて鉄道自殺の目撃がPTSDに。吐くほど怖くておそろしかったのに、それをまた見るために写真を蒐集している。あと、人の傷に抗いがたいフェチも感じている。これは反復強迫。

すごく身に覚えがある人って多いんじゃないかな。とてつもなく苦しくて悲しいことがあった。自分じゃどうすることもできないほどの。なのに、同じ状況を再現しようとしたり、その状況に足を運んでしまったり。脳は強い刺激がつらいものなのか嬉しいものなのか区別できない。だから、強い刺激がクセになってしまう。当然、本人は悦に入りながらも苦しみ続けて、そんな自分が理解できない。

当然中学生の2人はそんな脳の事情なんか知るよしもないから、自分に疑問を抱きながらも、もがきながら生きていく。

ハッピーエンドになるのかなと思って読んでいたけど、もう淀井の自傷癖のあたりからラストはそれしか見えず。

母に構ってほしい思いの他に、自傷で一時的に高ぶった感情を落ち着かせるという目的もあったのだと思う。

淀井の最後については事故ってことになってるけど、私は完全に偶発的な事故ではないと感じた。母の彼氏がドライバーが発作を起こしたゆえの事故だったこと、淀井の右肩が潰れていたけど顔はキレイだったことを語っていたけど、これは真相のヒントではない。

通常、トラックに跳ねられる場合、直前に気づいて車側を見る。なので、顔がダメになるんじゃないかな。でも淀井は肩が潰れて顔がキレイだったってことは、そっちを見ていなかった。普通、トラックが近づいてきたら逃げる暇がなかったとしてもそちらを見ると思うんだよね。

だから未来が見えないと話していた淀井は、自殺ではなかったにせよ、どこかで死に吸い込まれていく自分に抗えなかったのではないかな。それとも、何かを考えていた? 母と彼氏との食事の日だったから、やっぱり心の中の“母に構ってほしい子どもの自分”に勝てなかった?

とここまで書いてふと、顔がキレイだったっていうことは轢かれる直前に生きたいという思いから顔を逆側にひねったっていうことかも? という可能性も浮上。え、どっち? 若干BPDの傾向ありそうかなと思っていたので、構われたい気持ちが勝ったと思ってたけど、直前の淀井の様子がかなしそうだったって村瀬が語っていたこと、淀井が引っ越ししたくなかった(けど母に抗う描写なし)なことを考えると、やっぱり……と思ってしまう。

でも。村瀬が最後手紙を読むシーンで、簡単に世界を手放そうとした淀井を回想している。2人が思いあった後なのだから、やはり淀井が命を投げ出すのだとしたらそれは村瀬が隣にいるときであって、彼が隣にいなかったそのときの出来事はやはり不慮の事故だったのかな。

そう、単純にキャラに語らせたことが真実ではないほど、この物語は何層にもなって真相は深い淵に沈んでいる。それがまた魅力なんだよね。


村瀬と相思相愛になった→でも引っ越し→とはいえ気持ちは離れないし未来への希望も→事故死

村瀬と相思相愛になった→でも根本的な孤独は消えない→母もやはり彼氏にとられそう→我慢しなきゃ→いやだな→事故(?)死

どっちなんだろう。

前者だったらあまりに残酷(だけどこっちの説を支持してる人のが多い)、後者だったら悲しいけどすごく腑に落ちる。救いはないけど。淀井が事故の直前、引っ越しや母と彼氏の関係で、とても強いストレスを感じていたとしたら?

人生における一瞬の煌めきって本当に尊く美しく、そして悲しい。失ったあと、それを乗り越えたくもない。乗り越えるべきではないとすら思う。思い出と心中してもいい、むしろ。でも、村瀬にはあの美しくあやうい感性を持ちながら成長し、作家になってほしいなと思った。

というかそういうルートは『少年のアビス』の似非森先生だね。いいと思う。思い出にとらわれていていいんだよ。私が許す。